誰が一番偉いか③

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.10.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 9章
放送日
2025.10.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は聖書のルカ福音書9章から「誰が一番偉いか」という話題を話していた弟子たちが出てきます。実はこの前の箇所で、イエス様は弟子たちのうちでペテロ、ヤコブとヨハネの3人だけ連れて、山に登られたと書いてあります。その時に3人の弟子はイエス様から「そこで見たことを誰にも言ってはいけない」と言われました。しかし人はそんなに黙っていられるものではありません。事実、聖書に記されているということは、この3人がどこかで話したのです。「この前のイエス様さあ。あ、言っちゃいけないんだった…」自分がイエス様に選ばれたことを誇ったのではないかと思います。
またこのヤコブとヨハネという兄弟の弟子が曲者でした。他の福音書ではこっそりと二人だけで、イエス様のところへ行き「あなたの栄光の座で一人を先生の右に、一人を左に座らせてください」と言った二人でした。それが他の10人の弟子にバレ、全員が腹を立てたとあります。イエス様は彼らの心の内にある考えを見抜かれました。ここで、イエス様に「自分たちの心にある考え」がバレたことに、弟子たちは驚いたでしょう。しかし同時に期待したのではないかと思います。「偉いのはやっぱりペテロだよ」と言ってくださるのではないか。「ヤコブとヨハネはわたしの右と左だな」とイエス様が言ってくださるのではないかと期待したのだと思います。
すでに弟子たちの中ではリーダー格の人物が出てきていました。ペテロは漁師でしたから力もあったでしょう。その後の聖書の中に記されているペテロの説教を聞いても人前で話す力もありましたし、他の弟子を率いるリーダーシップを持っている人物でした。誰よりもイエス様から「偉い信仰だ」と言われたい。つまり信仰もまた比較の対象になるのです。
しかし教会の中でそのような思いがミエミエだとしたら、その教会はどれほど居心地が悪いでしょうか。しかしイエス様はこのような思いから解放するために、この地上に来られました。信仰に偉いも偉くないもありません。ひたすらに罪人の弱い信仰の自分しかいません。偉いのは神様だけで十分なのです。私たちはイエス様と生きる時、この比較の感情から守って頂けるようになるのです。

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