誰が一番偉いか②
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.10.21
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 9章
- 放送日
- 2025.10.21
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は聖書のルカ福音書9章から「誰が一番偉いか」という議論を弟子たちがしていた箇所から学んでいます。私たちは子どもの頃から、比較に苦しみます。私も子どもの頃に最初に経験したのは「誰が1番足が速いか」ということでした。今から考えると「足が速いだけで、何であんなに威張れるのか」と思いますが、クラス中での男子の順位は「足が速いかどうか」で決まっていました。また鉄棒の逆上がりやマット運動が苦手だった私にとって、運動で測られるクラスの”イケている男子”1軍2軍にも入れませんでした。しかも”イケてない”3軍の中でも最後の最後。唯一、自分よりたった一人だけ足の遅い存在の友田君という子がいました。この友田君の存在が何よりも頼りだったのです。
しかし足が速いことでヒーローになれることなどやがて終わりが来ます。高校になると「足が速い」ことから「勉強ができるか」に比較の物差しが移ります。「顔が可愛いか、格好いいか」がやってきます。いつまでも「俺、足がすごく速いんだよ」と自慢しているなら、もう恥ずかしいことです。また、学力や学歴の物差しもそうです。いい年になっているのに、自分の学歴を誇り続けているのも恥ずかしいことです。では大人になると比較から解放されるのでしょうか。そんなことはありません。どんな人と結婚するのか。年収、出世、持ち家の大きさ。今度は「自分の子どもの足が速い」か、子どもがどこの大学に進学をしたのかと、無限ループで比較は続きます。誇るものがない人は家系図を持ってきて、「実は先祖は偉かった」と言い出します。皆さんは今日どこに比較の場所を持っているでしょうか。
足の遅かった自分は、友田君と助け合って、この比較の感情をなんとか乗り越えようとしたというよりも、「自分は友田君よりマシだ」と友田君を見下しながら自分を保っていました。誰かを見下し、そこにしがみ付き続けてしまう人間の深い罪の現れる場所こそ、比較の問題です。イエス様はこの比較から人を救い出したいと願って、誰よりも低い位置で、貧しい夫婦のもとで、誰よりも弱い存在の赤ちゃんになって、生まれてくださいました。つまり神様の物差しは人間の物差しとは違うのです。私たちはこのイエス様の物差しで生きることができる道があるのです。
しかし足が速いことでヒーローになれることなどやがて終わりが来ます。高校になると「足が速い」ことから「勉強ができるか」に比較の物差しが移ります。「顔が可愛いか、格好いいか」がやってきます。いつまでも「俺、足がすごく速いんだよ」と自慢しているなら、もう恥ずかしいことです。また、学力や学歴の物差しもそうです。いい年になっているのに、自分の学歴を誇り続けているのも恥ずかしいことです。では大人になると比較から解放されるのでしょうか。そんなことはありません。どんな人と結婚するのか。年収、出世、持ち家の大きさ。今度は「自分の子どもの足が速い」か、子どもがどこの大学に進学をしたのかと、無限ループで比較は続きます。誇るものがない人は家系図を持ってきて、「実は先祖は偉かった」と言い出します。皆さんは今日どこに比較の場所を持っているでしょうか。
足の遅かった自分は、友田君と助け合って、この比較の感情をなんとか乗り越えようとしたというよりも、「自分は友田君よりマシだ」と友田君を見下しながら自分を保っていました。誰かを見下し、そこにしがみ付き続けてしまう人間の深い罪の現れる場所こそ、比較の問題です。イエス様はこの比較から人を救い出したいと願って、誰よりも低い位置で、貧しい夫婦のもとで、誰よりも弱い存在の赤ちゃんになって、生まれてくださいました。つまり神様の物差しは人間の物差しとは違うのです。私たちはこのイエス様の物差しで生きることができる道があるのです。
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