「指切りげんまん」の「げんまん」とは?

出演者
水谷 潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.09.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 2章
放送日
2025.09.20

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「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
子どもが約束をするときなどに、昔から「指切りげんまん」と言いますが、この「げんまん」とは、どういう意味かご存知でしょうか。私も最近知ったのですが、「げんこつ1万回」という意味だそうです。「げんまん」を漢字で書くと、「拳」という字と数字の「万」になります。そして、「指切りげんまん」の後には「針千本飲ます」が続きます。
文字通り、一万発殴られて、針を千本も飲んだら、いのちはありません。それほどまでに、約束を守ることが大切だということを「指切りげんまん」は子どもたちにずっと教えてきたのでしょう。
旧約聖書の創世記2章によれば、神様と人間にはもともと約束がありました。神様は最初の人間アダムをエデンの園に導き「園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と自由を与え、「しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない」と命じました。それは、アダムが神様を愛し、喜んで従ってくれると信頼したからです。アダムも神様を愛し、喜んで神様との約束を守るつもりでいました。
しかし、悪魔の誘惑によって、アダムとその妻であるエバは神様との約束を破ってしまいます。二人は、善悪の知識の木から、その実を取って食べてしまいます。それ以来、人類と神様の関係は断絶され、人類は神様の祝福を失い、死ぬべき存在となってしまいました。
しかし、そんな私たちを神様は愛され、ひとり子であるイエス・キリストをこの地上に送り、その約束違反の罰を、受けさせたのです。2000年前に、イエス様が十字架につけられ、死なれたのは、本来、私たちが受けるべき罰の身代わりになったことを意味します。
「指切りげんまん」にたとえるなら、私たちが受けるべきげんこつ一万発をイエス様は受け、私たちが飲むはずだった一千本の針をイエス様が飲んでくださったのです。ですから、イエス様を救い主として信じるなら、神様との約束違反は、赦されます。そして失われていた神様からの祝福は回復に向かい、死を超えて生きる永遠のいのちが与えられます。
ラジオの前のあなたもイエス様を信じて、断絶されていた神様との関係を回復しませんか。神様からの祝福をいただき、永遠のいのちの希望をもって、歩みませんか。

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