子どもの目線で見る世界
- 出演者
- 阿部頼義
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.09.09
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 3章16節
- 放送日
- 2025.09.09
「世の光」の時間です。私は牧師の阿部頼義です。私には3人の小さな娘たちがいます。子育てをしていると子どもの発想に驚かされることがよくあるんです。子どもは、大人が忘れてしまった素直さや、常識に囚われない発想を持っていることがありますよね。そういう意味で、子どもから学ぶことがたくさんあるなと日々感じています。
以前聞いた話なのですが、ある男の子がアリの巣を踏んでしまったそうです。すると男の子は、そばにいたお父さんに「アリさんたちのお家を壊しちゃった!どうしよう」と戸惑いながら言ったそうです。男の子は、しばらく考えて、このように言ったそうです。「そうだ、僕がアリになって助けに行けばいいんだ!」とても素敵な考えですよね。
大人から見ると、それは非現実的なアイデアだと思うでしょう。もっと効率の良い解決方法があるはずだと考えるわけです。でも、この子はアリの目線に立ち、アリの世界に行くことを選んだんですね。とても考えさせられるストーリーだなと思いました。
実は、この男の子の発想は、神様が私たちを見る目線と似ているんです。聖書には、神が私たちを救うために、人間の姿となってこの世に来られたと書いてあります。なんて非効率なアイデアだろうかと思います。
新約聖書ヨハネの福音書には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書いてあるんです。「ひとり子をお与えになった」とは、「イエス・キリストをこの世に与えられた」という意味です。
イエスは、神であったにもかかわらず、人となり、私たちを苦しみや罪から救うために、この世に来られました。このように聖書の神は、どこか遠くにいて、こうしなさいと指示を出すのではなく、私たちと同じ目線に立ち、共感し、救い出すことを選ばれたのです。
あなたは、子育てや日々の仕事、忙しさや不安の中で、イライラしたり、上から目線になってしまうことはないでしょうか。そんな時、この小さな男の子のひとことが私たちに神の愛を思い出させてくれます。子どものつぶやきに、私たちも立ち止まって、神の愛の深さを考えてみたいと思います。
今日も救い主イエス様は、あなたの目線に立って、共にいてくださいます。ぜひ、イエス様に心の重荷を委ねてみてください。
以前聞いた話なのですが、ある男の子がアリの巣を踏んでしまったそうです。すると男の子は、そばにいたお父さんに「アリさんたちのお家を壊しちゃった!どうしよう」と戸惑いながら言ったそうです。男の子は、しばらく考えて、このように言ったそうです。「そうだ、僕がアリになって助けに行けばいいんだ!」とても素敵な考えですよね。
大人から見ると、それは非現実的なアイデアだと思うでしょう。もっと効率の良い解決方法があるはずだと考えるわけです。でも、この子はアリの目線に立ち、アリの世界に行くことを選んだんですね。とても考えさせられるストーリーだなと思いました。
実は、この男の子の発想は、神様が私たちを見る目線と似ているんです。聖書には、神が私たちを救うために、人間の姿となってこの世に来られたと書いてあります。なんて非効率なアイデアだろうかと思います。
新約聖書ヨハネの福音書には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書いてあるんです。「ひとり子をお与えになった」とは、「イエス・キリストをこの世に与えられた」という意味です。
イエスは、神であったにもかかわらず、人となり、私たちを苦しみや罪から救うために、この世に来られました。このように聖書の神は、どこか遠くにいて、こうしなさいと指示を出すのではなく、私たちと同じ目線に立ち、共感し、救い出すことを選ばれたのです。
あなたは、子育てや日々の仕事、忙しさや不安の中で、イライラしたり、上から目線になってしまうことはないでしょうか。そんな時、この小さな男の子のひとことが私たちに神の愛を思い出させてくれます。子どものつぶやきに、私たちも立ち止まって、神の愛の深さを考えてみたいと思います。
今日も救い主イエス様は、あなたの目線に立って、共にいてくださいます。ぜひ、イエス様に心の重荷を委ねてみてください。
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