私たちの病を負った

出演者
福井 誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 病気のとき
  • 眠れないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.06.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 8章17節
放送日
2025.06.12

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週は、福井誠が担当しています。今日も新約聖書マタイの福音書を開いてまいります。継続は力なりです。読書会などを開くと続きやすいかもしれません。ぜひ工夫して読んでみてください。そうすれば聖書を読む楽しさが、自然に身についてきます。今日は「私たちの病を負った」と題してメッセージをいたします。マタイの福音書8章17節をお読みします。

これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。
「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った」

マタイの福音書は、救い主イエスの様々な活動を描いています。イエスが行くところどこにでも、大勢の人々が集まってきました。そしてイエスは、病の癒し、悪霊からの救い、何でも求めに応じられたのです。
本当にそんな奇跡的なことがあったのだろうかと思う方もいるかもしれません。しかし、マタイが読者に伝えたかったことは、イエスが、ただ人の病を癒された、悪霊を追い出された、奇跡を起こしたという以上のことです。つまり、イエスが、様々な人間の痛みや重荷を担い、人々に寄り添ってくださった姿です。マタイが旧約聖書イザヤ書にあることばを引用したのは、そのためでした。
イザヤのことばは、旧約聖書の中でも「しもべの歌」と呼ばれる有名な一節です。それは、私たちの世界にやがて救い主が現れること、その方は、人の痛みや悲しみに関心を示し、理解しようとしてくださる方、病人の不幸や悩みにしっかり寄り添い、助けてくださる方だということを語っています。
現代の私たちも、悩みや病に苦しむとき、その重荷を一人で抱えていると思う必要はありません。イザヤの預言どおり救い主は確かにこの地上に来られ、今も目に見えない形で私たちと共にある、とその愛と力を信じて呼び求めることが大切です。

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