不完全さという価値

出演者
阿部頼義
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.05.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] コリント人への手紙第二 4章6~7節
放送日
2025.05.16

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「世の光」の時間です。私は、神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は「不完全さという価値」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。
皆さんは、自分自身の価値についてどのように見ていますか。よく世間では、年収や学歴、どのような家に住んでいるか、またどんな人脈を持っているかなどで、自分が価値ある人間だと見せようとする傾向があるように感じます。もちろん、努力をして得た結果であれば、その努力を誇りに思って良いと思います。
しかし、聖書を見ると、神は私たちの価値について、少し違った基準を持っていることがわかります。それは、「不完全さという価値」です。そもそも、この地上には、完全完璧な人間はいません。むしろ、誰だって欠点があり、弱さがあるのです。どんなに幸せそうに見える人でも、コンプレックスを持ち、心に闇を抱えていることがあるのです。
神は、そのような不完全な私たちに「あなたは世の光」「あなたはわたしの作品」「あなたはわたしの愛する子」だと言って価値を認めてくださっているのです。
このように不完全なものを価値あるものとする見方は、日本の文化の中にも見られます。金継ぎという伝統技術もその一つです。金継ぎとは、欠けたり割れたりした器を、漆と金粉で修復する伝統技法です。割れ目や欠けたところが、金粉によって新たな模様のようになり、以前とは違った味わいのある作品として蘇るのです。日本の侘び寂びを感じますよね。
同じように、聖書には、私たちが「土の器」だという表現があります。土の器ですから、脆くて、すぐに欠けたり割れたりしてしまいます。しかし、そのような土の器である私たちに、神の愛が注がれる時、私たちの欠けから神の愛が輝き、そこに新たな価値が生まれるのです。むしろ、欠けているから素晴らしい、とさえ言えるのです。
もし、今、自分の価値を低く見てしまっている方がいるなら、「不完全さという価値」を知ってください。神は、不完全な私たちを価値あるものとして輝かせてくださっているのです。今日も、「世の光」をお聞きくださりありがとうございました。

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