成し遂げられた

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

もっと詳しく見る

アップロード日
2025.04.19
カテゴリ
人物・人生
放送日
2025.04.19

いいね登録

     登録数:1

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか。関根弘興です。今週はイエス・キリストが十字架につけられた出来事を覚える受難週です。
イエス様は何の罪を犯したわけでもありませんが、十字架に付けられました。聖書には木にかけられた者はのろわれる、とあるとおり、十字架は忌むべき処刑でした。イエス様の十字架刑は午前九時頃から始まりました。そして、十二時頃になったとき、突然全地が暗くなり、三時まで続いたのです。昼間なのに暗闇が覆う、その時でした。イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれました。このことばだけ読むと、「神の子イエスもついに父なる神に見捨てられたのか。イエスの十字架は失敗だったのではないか」と考えてしまう人もいるかもしれません。
しかし、そう考えるのは、聖書もイエス様の十字架の意味も知らないからです。イエス様は、神なる方であるのに、人として来てくださいました。それは、罪のないイエス様が人々の罪を身代わりに背負い、すべての罰と呪いを受けるためです。イエス様の十字架は、私たちを何とかして救おうとする神様の深い愛と、罪を決して見逃すことのない神様の正しさを同時に表すものだったのです。
イエス様は、私たちの代わりに十字架にかかり、ただしい神様に断罪されました。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という叫びは、イエス様が審判者である父なる神様の前で、私たち罪人の代表として十字架の罰と呪いを一身に背負われた苦しみの叫びだったのです。また、愛と恵みに満ちた神様との関係が完全に絶たれてしまうという絶望の叫びでもありました。この叫びこそ、イエス様が私たちの罪を身代わりとなってすべて背負ってくださった、ということの確かな証拠なのです。
そして、イエス様は「完了した」と言われました。もし十字架に付けられたことが失敗だったなら「完了した」とはいいません。「失敗した」と言うでしょう。それではいったい何が成し遂げられたのでしょう。それは、十字架のみわざによって、私たちの罪が赦され、救いの道が完成したのだと教えるのです。
聖書のことばをお読みします。第Ⅱコリント5章21節「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」このことばのとおりです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ