誰の声を聞くべきか

出演者
黒木昭江
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • 病気のとき
  • 眠れないとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.04.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 3章17節
放送日
2025.04.05

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「世の光」の時間です。今週は愛知県名古屋市の富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしてきました。
かつて私が会社で働いていた時、しばしば悩んだのは、上司の意見がバラバラなことでした。部長の指示と課長の指示が違う。私はいったいどちらに従えば良いのか。
誰の声を聞くべきか。これは重要なことです。仕事の上だけでなく、人生を生きる上ではなおさら、大切なことではないでしょうか。職場でも学校でも家庭でも、私たちは、自分に対するあらゆる評価のことばにさらされます。嬉しい評価もあれば、ネガティブな評価もある。それに毎回振り回されていたら、私たちは疲弊してしまいます。
救い主としてお生まれになったイエス・キリストは、三十数年間の短い人生の間、度重なる苦難に見舞われました。とくに、救い主として公に働かれた最後の数年は、打ちのめされる経験を何度もされました。当時の宗教学者から「おまえの教えは間違っている」と糾弾され、ときに悪魔呼ばわりされました。最愛の母親でさえ、イエスの働きを誤解することがあり、理解者であった従兄弟は権力者によって殺されました。身近な弟子にさえ裏切られ、不法な裁判にかけられ、最後は十字架の上で処刑されました。
けれどもイエスは、人生を否定せず、自暴自棄にならず、十字架上で命を削られながらも、他の死刑囚を救いに導きました。この強さはどこから来たのでしょうか。
イエスは、救い主としての働きを始めた時、洗礼を受けました。その時イエスは、神様のことばを聞いたのです。それはこんなことばでした。マタイの福音書3章17節「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」。この神様のことばをしっかり握りしめて歩んだイエスは、神の愛を疑うことなく、神に愛され喜ばれていることを支えに、自分を否定したり、運命を呪ったりすることなく、最後まで、自分の人生をしっかり歩んだのです。そして亡くなって3日目に復活されました。
明日は日曜日です。ぜひお近くの教会へお出かけくださり、神の愛のことばをお聞きください。

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