生き方の極意①
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.08.18
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] テサロニケ人への手紙第一 5章16~18節
[旧約聖書] 詩篇 34篇1節
- 放送日
- 2025.08.18
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか。関根弘興です。
今週は、生き方の極意ともいうべき大切な事柄をご一緒に考えていきましょう。
まず聖書のことばを紹介いたします。新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節から18節。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」生き方の極意は、喜び、祈り、感謝する、という生活の中にあるようですね。でも、「いつも喜んでいなさい」と言われても、人生には辛いこともありますし、喜んでばかりはいられませんよ、と思われるでしょう。
旧約聖書に登場するダビデという人がこんなことばを記しました。「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」と。きっとこれだけ読んだら、ダビデが調子のいい時にこう言ったのではないか、と思われそうですね。しかし、実は正反対だったんです。ダビデは国のために大きな貢献をしたにも関わらず、自分の国の王様に執拗に命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされました。ある時、ダビデは、国内に留まるのが危険だったので、仕方なく敵国の町に逃げて行きました。しかしその町の人々はダビデに疑いの目を向けはじめたのです。身の危険を感じたダビデは、彼らの前で気が狂ったふりをして、やっとの思いでそこから逃れ出ることができました。そういう困難の中で、ダビデは「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」こう記したのです。つまり「いつも喜んでいなさい」というのは、いつも陽気にハッピーハッピーと言って悩みなく生きていく生き方ではありません。襲ってくる困難があります。苦しみ、悲しみも襲います。思うように行かない現実にため息がでてしまうこともあります。しかし、そんな時、私たちはどこに目を向けたら良いのでしょう。それは、下ばかり見るのではなく、天地を創造された神様を見上げて、苦しみの中にあってもあえて神様をほめたたえ賛美していくのです。なぜなら神様は愛と真実に満ちたお方だからです。いつも神様を褒め称え賛美することを、自らの喜びとしていく、これが生き方の極意の一つなのですね。
今週は、生き方の極意ともいうべき大切な事柄をご一緒に考えていきましょう。
まず聖書のことばを紹介いたします。新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節から18節。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」生き方の極意は、喜び、祈り、感謝する、という生活の中にあるようですね。でも、「いつも喜んでいなさい」と言われても、人生には辛いこともありますし、喜んでばかりはいられませんよ、と思われるでしょう。
旧約聖書に登場するダビデという人がこんなことばを記しました。「私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」と。きっとこれだけ読んだら、ダビデが調子のいい時にこう言ったのではないか、と思われそうですね。しかし、実は正反対だったんです。ダビデは国のために大きな貢献をしたにも関わらず、自分の国の王様に執拗に命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされました。ある時、ダビデは、国内に留まるのが危険だったので、仕方なく敵国の町に逃げて行きました。しかしその町の人々はダビデに疑いの目を向けはじめたのです。身の危険を感じたダビデは、彼らの前で気が狂ったふりをして、やっとの思いでそこから逃れ出ることができました。そういう困難の中で、ダビデは「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」こう記したのです。つまり「いつも喜んでいなさい」というのは、いつも陽気にハッピーハッピーと言って悩みなく生きていく生き方ではありません。襲ってくる困難があります。苦しみ、悲しみも襲います。思うように行かない現実にため息がでてしまうこともあります。しかし、そんな時、私たちはどこに目を向けたら良いのでしょう。それは、下ばかり見るのではなく、天地を創造された神様を見上げて、苦しみの中にあってもあえて神様をほめたたえ賛美していくのです。なぜなら神様は愛と真実に満ちたお方だからです。いつも神様を褒め称え賛美することを、自らの喜びとしていく、これが生き方の極意の一つなのですね。
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