天に宝を蓄えなさい

出演者
福井 誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 死や命について考えているとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.02.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 6章19~20節
放送日
2025.02.28

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週は、福井誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。今日は「天に宝を蓄えなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書6章19、20節をお読みします。

「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴をあけて盗むこともありません」

宝と一言で言っても、様々です。そして、人それぞれです。ある人は、家や車、貯金など経済的な資産を宝と考えます。ある人は、宝石や貴金属などの貴重品。またある人は、そのような物質的なことにはあまり興味がなく、家族や友人といった愛情深い関係や支え合う人々とのつながりを宝と考えるでしょう。また、健康や時間、自らの経験といった非物質的な宝を大事にする人もいます。さらに言えば、信仰や自己成長、感謝といった目に見えないもの、精神的なものを宝と考える人もいます。
私は、自分自身のことを考えると、若い時は、車とか物質的なものを宝としていたこともあったと思いますが、今は、家族や友人、そして何よりも聖書を読む時間、信仰などが宝かなと思います。宝とするものは、人それぞれですし、年齢でも変化することがあるのです。実際、信仰を持たれた方々の中には、物質的なものよりも、非物質的なもの、そして精神的なものを宝と考えるようになった、という方も多いように思います。
イエスは、地上に宝を蓄えるのは止めなさいと言いました。それは主として物質的なものを言っているのでしょう。虫やさびで傷物となり、盗まれるというのは、そういうことです。私の父は、晩年、自らの身辺整理をし、ほとんど何も天には持って行けないから処分するようにと語ったことがありました。中には貴重品かなと思うものもあったのですが、不要と言うのです。天に蓄えられるもの、つまり神様との関係以外には、何も残らないという現実が人間にはあるのです。

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