わたしもあなたを罰しない
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2025.01.20
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章9~11節
- 放送日
- 2025.01.20
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「わたしもあなたを罰しない」という題でお話しましょう。前回のお話を覚えていますか?イエス様が「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの姦淫の女に石を投げつけるがよい」と言われました。今日はその続きです。ヨハネの福音書8章9節からです。
さて、このイエス様のことばを聞いていた群衆は年寄りから始めてひとりびとり出て行き、罠を仕掛けた政治指導者も宗教指導者もいなくなり、ついにイエス様と姦淫の現場で捕まった女だけが残りました。イエス様のことばは闇に輝く光のようですね。人々の良心を照らし、一人一人を罪人に置いたのです。私たちに見えないものを見えるようにしてくださいました。
かがんで地面に物を書き続けておられたイエス様は、ゆっくりと身を起こされ、ひとり残った女に言われました。「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」女は言いました。「主よ、だれもいません」大きな石を取りのけると虫たちが一斉に光から逃げてゆくように、良心を咎められた人々はいなくなりました。心のやましい人はイエス様のことばにいたたまれなくなったのです。特に、イエス様を罠に掛けようとした人たちは慌てふためいて立ち去って行きました。
すなわち、この女の罪を裁く人は誰もいなかったのです。私たちの罪を最終的に裁くことができるのは天の父なる神様のみです。私たちの罪は天の法廷で裁かれることになります。
するとイエス様は女に言われました。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」イエス様は姦淫の罪を肯定しているわけではありません。今後は同じ過ちを犯さないように戒めていることからもわかります。罪を認めて、罪を改めて生きてほしいと女に自由と将来を与えました。
それは、主イエス様はこれからこの女の罪と罪の刑罰を十字架の上で償うからです。神の律法である石打ちの刑をこの女の身代わりとなって受けてくださいました。ですからこの女の罪をイエス様は赦すことができるのです。
ですから私たちもこの女のようにイエス様のみ前に残り、罪の赦しのことばをいただきたいのです。
今日は「わたしもあなたを罰しない」という題でお話しましょう。前回のお話を覚えていますか?イエス様が「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの姦淫の女に石を投げつけるがよい」と言われました。今日はその続きです。ヨハネの福音書8章9節からです。
さて、このイエス様のことばを聞いていた群衆は年寄りから始めてひとりびとり出て行き、罠を仕掛けた政治指導者も宗教指導者もいなくなり、ついにイエス様と姦淫の現場で捕まった女だけが残りました。イエス様のことばは闇に輝く光のようですね。人々の良心を照らし、一人一人を罪人に置いたのです。私たちに見えないものを見えるようにしてくださいました。
かがんで地面に物を書き続けておられたイエス様は、ゆっくりと身を起こされ、ひとり残った女に言われました。「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」女は言いました。「主よ、だれもいません」大きな石を取りのけると虫たちが一斉に光から逃げてゆくように、良心を咎められた人々はいなくなりました。心のやましい人はイエス様のことばにいたたまれなくなったのです。特に、イエス様を罠に掛けようとした人たちは慌てふためいて立ち去って行きました。
すなわち、この女の罪を裁く人は誰もいなかったのです。私たちの罪を最終的に裁くことができるのは天の父なる神様のみです。私たちの罪は天の法廷で裁かれることになります。
するとイエス様は女に言われました。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」イエス様は姦淫の罪を肯定しているわけではありません。今後は同じ過ちを犯さないように戒めていることからもわかります。罪を認めて、罪を改めて生きてほしいと女に自由と将来を与えました。
それは、主イエス様はこれからこの女の罪と罪の刑罰を十字架の上で償うからです。神の律法である石打ちの刑をこの女の身代わりとなって受けてくださいました。ですからこの女の罪をイエス様は赦すことができるのです。
ですから私たちもこの女のようにイエス様のみ前に残り、罪の赦しのことばをいただきたいのです。
コメント
番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。