あなたがたは世の光

出演者
福井 誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.01.07
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章14節
放送日
2025.01.07

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週は福井誠が担当しています。今日は1月7日です。七草がゆの日です。私は、楽しみにしています。さて昨日からマタイの福音書を読み進めています。今日は、「あなたがたは世の光」と題して、お話をいたします。新約聖書マタイの福音書5章14節からお読みします。

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。」

イエスは、ここで二つの物を取り上げています。「光」と「山の上にある町」です。どちらも存在感がはっきりとしています。
光は、光が差し込んだとたん、それまでの闇を一掃してしまいます。山の上にある町も、隠れようがありません。どこにいてもそれは良く見えるのです。先日、岐阜に行った時、遠目に山の上にある岐阜城が見えました。織田信長が居城とした岐阜城、その岐阜城の内には、当時の資料が並べられていました。そして、当時の山頂の様子を復元した図もあり、岐阜城の周りに様々な建物が立てられていた様子がよくわかりました。今は山の頂上にお城が見えるだけですが、当時はそこに活気にあふれた、山頂の町の姿があった、というわけです。そして、その町の姿はどこからでもよく見えたことでしょう。
ともあれ、山の上にある町は隠れることができない。信仰を持つということは、そのようなものであると言います。神を信じているなら、それは誰の目にもはっきりわかることで、隠すことができない。他の人とは区別される何かを感ぜずにはいられないのだ、と言うわけです。しかも大切なのは、その人を通じて、神を知ることができる、という点です。
確かに信仰を持っている人も様々です。しかし、まことの信仰者は、その存在によって、天の父の存在を知らせる人です。私が山の上に威容を誇る岐阜城に関心を持ち、近づいて資料館に入って織田信長の偉業を深く知ったように、まことの信仰者は、人々の関心を引き起こし、近づくなら、まことの神の素晴らしさをさらに伝えるものを持つ存在なのです。神を知りたいと思われる時にはぜひ、信仰を持ったお友達に聞いてみてください。

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