あたながたは地の塩

出演者
福井 誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.01.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章13節
放送日
2025.01.06

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「世の光」の時間です。福井誠です。しばらくぶりですが、皆さん、お変わりございませんか。新しい年になって、今日は6日、様々な意味で、思いを新たにしておられるのではないかと思います。今年も、皆さんにたくさんの神の愛と祝福が降り注ぎますようにと願っています。マタイの福音書から共に読んでいきましょう。今日は、「あなたがたは地の塩」と題して、お話をいたします。新約聖書マタイの福音書5章13節からお読みします。

「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。」

イエス・キリストが、群衆を前に、山上で語られた説教の一節です。イエスは、言います。信仰を持つことは、地の塩になることと同じだ、と。
塩は、料理の味付けにも使われますが、当時は、腐敗防止のためにもよく使われました。いずれにせよ、塩は、何かに混ぜられるとその存在感をはっきりと示します。そしてそれが失われると、その大切さを覚えずには、いられなくなるものなのです。
たとえば私たちは、今当たり前に、電気を使っています。テレビやパソコンのみならず、調理器や、冷暖房、マンションのエレベーター、あらゆるものが電気で動いています。そして、大停電になると、普段は感じない電気のありがたみを嫌と言うほどに感じさせられるのです。イエスは、神を信じる者は、そのようなものだ。無くなったら、どれだけ大切な存在であったかがよくわかるような者なのだ、と言うのです。
確かに、神を信じ、まことの神の聖さ、愛、そして義しさに生きようとする人々というのは、争いや腐敗でごたごたした世の中において、その存在感を示さざるを得ないでしょう。そのような人々が存在することが、社会の警鐘となり、人生の正しい方向性への気づきを与え、さらには物事を改革する力となるのです。神を信じる多くの人は、普段は目立たないことでしょう。しかし、いなくなればその抜け穴の大きさに気づかされるような人です。新しい年も、信仰を持つことの大切さに心を配って歩みたいものです。

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