無病息災でなくても

出演者
黒木昭江
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.01.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 10章29-31節
放送日
2025.01.03

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「世の光」の時間です。今週は名古屋市の富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしています。
さて、新年の初詣では、多くの人が商売繁盛、無病息災、家内安全を祈ります。私も皆様の上に、無病息災、今年一年、病気と無縁で元気に過ごせますように、とお祈りいたします。
けれどもイエス・キリストのことばにも耳を傾けてみましょう。キリストはこんなことをおっしゃいました。マタイの福音書10章29節から31節。「二羽の雀は1アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです」。
聖書の舞台であるユダヤでは、雀は2羽1セットで売られていました。1羽では商品にならない、価値のないものと思われていたのです。でもキリストは言います。そんな雀だって、いつ、どんな状況で死ぬのかを、神様がちゃんと考えていてくださる。ましてや私たち人間は、神様の前に、雀よりもずっと価値のある存在。だから、病に罹るのも、その病気が治るのも、あるいは、人生を閉じる時、その状況のすべてを、神様が考えていてくださる。だから心配するな、病気や死を恐れる必要はないとおっしゃったのです。
むしろキリストは、からだのことより、たましいのことに心を配りなさいとおっしゃいます。形あるものがいつか必ず壊れるように、私たちのからだは永遠ではありません。すべての人はいつか死ぬことが定められています。しかし、たましいが神様と結びついているなら、死は絶望ではなくなります。
たましいを神様と結びつけてくれるもの、それは神のことばである聖書です。
ぜひ今年の抱負のひとつに、聖書を読み始めること、日々続けて聖書を読むことを、追加していただけたらと思います。 そしてぜひお近くのキリスト教会にもおでかけください。

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