安心していきなさい1

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2024.11.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章36~50節
放送日
2024.11.11

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週は聖書のルカ福音書7章から学んでいきます。
今週の箇所は、新約聖書時代の宗教学者であったパリサイ人シモンの家にイエス様が食事に招かれた中で起こった出来事が記されています。パリサイ人とは「分離する者」という意味があります。聖書のことば通りに生きていくために、彼らが「罪深い」とする人たちと距離を取っている、そんな人でした。平気で罪深い者たちと食べたり、飲んだりしているイエス様のことを敵対視するパリサイ人も多くいたのですが、このシモンはイエス様を食事に招く珍しいタイプのパリサイ人でした。またイエス様も「パリサイ人の家なんかには行かない」と言われることはなく、招かれると「別け隔てなく」すっとそこに入っていかれました。
するとその食事の最中に事件が起こりました。その町に住むひとりの女性がパリサイ人シモンの家に入ってきて、イエス様に香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながらイエス様の足を涙で濡らし、髪の毛で拭い、足に口づけして、香油を塗ったのです。彼女はこの町で「罪深い女」と呼ばれていた女性でした。どんな罪深さであったのかは聖書は記しません。しかし、その町の人で知らない人はいない罪深さであったのでしょう。
彼女はどこかでイエス・キリストのことを聞いたのです。ひどい罪人扱いされて、仲間に入れられなかった人をも愛された。誰からも距離を置かれ、遠巻きに差別されていた病人一人ひとりに手を置いて、抱きしめられた。そんな噂を聞いたのでしょう。自分もそこに行きたい、と思ったのです。彼女は人から「罪深い」と言われる仕事であったのかもしれません。誰にも自分の気持ちなどわかってもらえない。イエス様の話を聞いた時、この人だったら蔑んだりせずに、私の話を聞いてもらえるのではないか。わかってもらえるのではないかと居ても立ってもいられずに、「会いたい」と訪ねて来たのです。
今週はこの女性とイエス様との関わりから、「愛するとは何か」ということをご一緒に考えたいと思います。私たちもまた愛することを求めています。そして愛のない自分に落ち込む者たちです。しかし私たちには誰かを愛する手がかりがあります。今週は愛せるようにしてくださるイエス様ご自身のことばから、愛を学んでいきたいと思います。

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