神の助けは確実だ
- 出演者
- 福井 誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
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- 病気のとき
- 眠れないとき
- 人を許すことが出来ないとき
- 元気をもらいたいとき
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- アップロード日
- 2024.10.19
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マタイの福音書 5章3節
- 放送日
- 2024.10.19
「世の光」の時間です。福井誠です。この一週間皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けることができました。皆さん、いかがでしたか。マタイの福音書の面白さが伝わり、読み続けるきっかけになればと願います。今日は、「神の助けは確実だ」と題してお話します。では、マタイの福音書5章3節をお読みします 。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」
このマタイ5章から7章まで続く、一般に山上の説教と呼ばれる説教が語られた舞台は、ガリラヤ湖の西岸、エ・タフガだとされています。現在そこには、八角堂の「垂訓の教会」が建立されています。ガリラヤ湖を一望できるとても見晴らしのよい美しい場所です。聖地旅行では必ず訪れるスポットの一つでもあります。
ただこの説教は、実際には、ここで語られたというよりも、様々な機会にイエスが語られたものを一つにまとめたのではないかと考えられています。そして5章の最初の1~11節は、「幸いです」と繰り返されることばから「八福の教え」とも呼ばれています。古い文語訳の聖書では、「さいわいなるかな」と感嘆調の訳になっていて、実は、その方がイエスの意図をよく翻訳しているとも言われます。つまりイエスは、幸いになる方法や秘訣を語っているわけではなく、幸いな事実を指摘しているからです。
たとえば、「心の貧しい者は幸いです」と語られます。詳訳聖書と言う、聖書のもとの原語、ギリシア語のニュアンスがわかるように様々な訳を紹介している聖書を読むと「心の貧しい者」は、「霊において貧しい者」「自分をつまらない者と評価する謙遜な人」と訳されています。つまり、神以外に助けを求められない、心の貧しさに陥ったとしても、卑屈になる必要はない、あなたは幸いだ、神の助けは確実だからだ、ということでしょう!イエスは神の子として、神の存在の確かさ、そして誠実さ、熱心さを語り掛けているのです。神を信じるその心が裏切られることは決してありません。では、季節の変わり目、どうぞ体調に気を付けて、次回をお楽しみに、またこの放送でお会いしましょう。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」
このマタイ5章から7章まで続く、一般に山上の説教と呼ばれる説教が語られた舞台は、ガリラヤ湖の西岸、エ・タフガだとされています。現在そこには、八角堂の「垂訓の教会」が建立されています。ガリラヤ湖を一望できるとても見晴らしのよい美しい場所です。聖地旅行では必ず訪れるスポットの一つでもあります。
ただこの説教は、実際には、ここで語られたというよりも、様々な機会にイエスが語られたものを一つにまとめたのではないかと考えられています。そして5章の最初の1~11節は、「幸いです」と繰り返されることばから「八福の教え」とも呼ばれています。古い文語訳の聖書では、「さいわいなるかな」と感嘆調の訳になっていて、実は、その方がイエスの意図をよく翻訳しているとも言われます。つまりイエスは、幸いになる方法や秘訣を語っているわけではなく、幸いな事実を指摘しているからです。
たとえば、「心の貧しい者は幸いです」と語られます。詳訳聖書と言う、聖書のもとの原語、ギリシア語のニュアンスがわかるように様々な訳を紹介している聖書を読むと「心の貧しい者」は、「霊において貧しい者」「自分をつまらない者と評価する謙遜な人」と訳されています。つまり、神以外に助けを求められない、心の貧しさに陥ったとしても、卑屈になる必要はない、あなたは幸いだ、神の助けは確実だからだ、ということでしょう!イエスは神の子として、神の存在の確かさ、そして誠実さ、熱心さを語り掛けているのです。神を信じるその心が裏切られることは決してありません。では、季節の変わり目、どうぞ体調に気を付けて、次回をお楽しみに、またこの放送でお会いしましょう。
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