待って良いですか⑤

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2024.09.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章18~23節
放送日
2024.09.06

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週は聖書の福音書ルカ7章から学んでいます。今週の箇所には信仰が揺らいで躓いた洗礼者ヨハネが出てきます。
ヨハネは母親エリサベツと、イエス様の母親のマリアが親戚関係にありましたので、二人は幼馴染であったと十分考えられます。ヨハネには自分なりのイエス理解があったはずです。「自分の知っている姿」があったでしょう。ヨハネにはさらにメシア、救世主とは何かと聖書から思い描くメシア像もあったでしょう。そしてそこで思い描いていたこととイエスは違う、という経験をしたのだと思います。当時の宗教指導者であった律法学者と平気で喧嘩をする。そこまで戦わなくていいのではないかと思う。安息日に麦の穂を摘んで食べたら、やっぱり弟子にも注意したほうがいいのではないか。イエス様をさばく思いが芽生えていたのだと思います。実際イエス様は自分の持っているメシアイメージからはみ出している。
私たちもまた自分好みのイエス様像を勝手に作り上げて、その通りにキリストがしてくれないと躓くということをするのだと思います。そしてその場合いつも悪いのは躓いてしまった自分ではなく、躓かせたほうが悪いと思う。自分を正当化してしまうのです。もしかすると牧師であっても、理想的な教会のイメージを作り上げて、信徒に躓くということもあるでしょう。信徒は信徒で「牧師とはこういうものだ」と思い込み、そのリクエストに答えない牧師に私は躓いたと大声で言ってしまう。
躓く理由は、イエス様のことを正確に聖書から求めようとしないところで生まれます。イエス様の言っていることば通りに受け取るのではなく、自分の人生観に収まりやすいイエス様に切り替えてしまう。自分好みのイエス様像を作り上げていく。そして、イエス様に躓く。しかしここでヨハネは耐えられなくなりました。「待っていてよいのですか?」イエス様そのものからことばを聞こうとしたのです。ここにヨハネの信仰がありました。揺らいだからこそ求めようとするところに私たちもヨハネに倣っていきたいと思います。

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