待って良いですか②

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2024.09.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章18~23節
放送日
2024.09.03

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週は聖書のルカ福音書7章から学んでいます。今週の箇所には信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。
ヨハネは敬虔な信仰者の家庭で育ちました。父ザカリアと母エリサベツの信仰を受け継ぎ、一方で父親から当然受け継ぐべき祭司の職業を捨てて、荒野に出ていったヨハネでした。やがてエッセネ派と呼ばれる信仰の強者たちの中に加わり、荒野で悔い改めを叫ぶ人生を選んだのです。さらに国王ヘロデの罪を明らかにし、神のことばを宣べ伝えることを選び取ったヨハネの人生でした。それもこれも「神様の道を用意して、神の道を真っ直ぐにせよ」という自分自身の預言者としての生き方を貫いてきたのです。
するとヨハネに聞こえてきたのは、イエス様の報告でした。ヨハネは彼なりの救い主メシア像があったのでしょう。イエス様の12弟子たちもまた同じように旧約聖書の語るメシアイメージを持っていました。それはかつてイスラエルの王であったダビデのように、イスラエルをまとめ上げ、自分たちを支配しているローマ帝国を追い出し、神の国の支配をもたらしてくれるメシアの姿だったでしょう。ヨハネもまたこのような旧約聖書のイメージを持っていたに違いありません。
しかし、自分の弟子から聞こえてくるキリストの報告は、罪人と食事をともにし、病の人を癒やし、敵に回してはならない宗教指導者パリサイ人から反目を買い、彼らから敵意を抱かれるほど怒らせてしまっている。ヨハネが語ってきたメシアの姿からはみ出ていたのです。彼の語ってきたメシアの姿から、程遠いキリストの姿がありました。ヨハネは揺らいだのです。「自分の語ってきた『おいでになるはずの方』、それはあなたではないのか?」「本当にメシアなのか?」
人生をかけた信仰の対象が、「もし神ではなかったとしたら」。私も牧師をしていますので、もしキリストが神でなかったとしたら、どれだけの絶望が自分を襲うかと思います。しかし、今週の箇所が私たちに教えてくれるのは、「迷って良い」「揺らいで良い」ということです。そこにこそ健全さがあります。預言者ヨハネも揺らいだと、聖書は明らかにします。私たちは人間ですから、迷いますし、揺らぐのです。この時、大切なことは揺らぎながらも、キリストご自身に尋ねていくこと、それが信仰の中にあることです。

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