はばからないで神に近づこう

出演者
安井 聖
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.07.29
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヘブル人への手紙 4章16節
[新約聖書] ヘブル人への手紙 4章15節
放送日
2024.07.29

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「世の光」の時間です。私は、東京・新宿区にある、西落合キリスト教会の牧師、安井聖です。
初めに、新約聖書ヘブル人への手紙第4章16節を口語訳聖書で朗読します。「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」。
「はばかる」という日本語は、もともと「幅を取る」という意味のことばです。横に幅を取ると、「憎まれっ子、世にはばかる」ということばのように、横柄な態度を表しますが、縦に幅を取ると、相手と自分との間に距離を置くことを意味します。ですから、はばかるとは、相手に近づくことができない姿、相手を近づけることができない姿なのです。
でも聖書はこう語りかけます。「はばかることなく、堂々と恵みの座に近づこう。神の恵みの座に、つまり神の前に、遠ざかるのではなくて、はばかることなく、遠慮なく近づこう」。私たちが誰かのそばに近づきたくないと思うのは、こんな自分を相手はとても受け入れてくれないのではないか、拒絶されて傷ついてしまうのではないか、そう心配しているからかもしれません。そんな気持ちの裏で、弱くて不甲斐ない自分自身の姿に自分が心を奪われてしまっているのではないでしょうか。
この聖書のことばの直前の15節にこう語られています。「この大祭司(主イエスのこと)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、私たちと同じように試錬に会われたのである」。主イエスは神であられたのに、たちと同じ人間となってくださり、私たち人間の弱さをご自分も味わい、受け止めてくださいました。誰にも分かってもらえない、理解してもらえないと思う自分の弱さを、主イエスだけは深く同情し、思いやってくださる。だから私たちは、はばからなくてよいのです。遠慮しなくてよいのです。はばからないで、喜んで、神の恵みの座に近づきましょう。

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