あなた方も去ろうとするのか

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2024.06.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章66~69節
[新約聖書] コリント人への手紙第一 1章18節
[新約聖書] ローマ人への手紙 10章17節
放送日
2024.06.26

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
 今日は、「あなた方も去ろうとするのか」という題でお話しましょう。イエス様のガリラヤ湖畔カペナウムの会堂での説教は、聞いた人々を2つに分けていきました。口語訳聖書のヨハネの福音書6章66節は、こう書いています。「それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。」
神のひとり子イエス様のことばは、ある人にとってはさまたげの岩、つまずきの石となったということです。まことに残念なことですが、今日でも「十字架のことばは、滅びゆく者には愚かであるが、救いに与る私たちには神の力である」という聖書のことばは、事実です。イエス様の教えと十字架は、滅びる人と救う人とに分けていくのです。十字架で死んでしまうような人に私たちを救えるわけがない、と嘲笑する人々がいます。
イエス様は十二弟子に言われました。「あなたがたも去ろうとするのですか。」するとシモン・ペテロという弟子が代表して答えました。「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠のいのちのことばを持っているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」
ここで弟子のペテロは、イエス様に従っていく理由を語りました。第一の理由は、イエス様の教えのことばは、私たちにとっていのちを与えてくれるからです。私たちに生きる力、生きる勇気、生きる希望を与えてくれます。第二に、イエス様を離れたら、自分の居場所はなくなるし、もはや生きているとは名ばかりで、死んだような人生になるでしょう、と告白しているのです。そして第三に、私たちはあなたが神の聖者であることを信じ、また知っています、と告白します。イエス様のことばを聞いて、十二弟子たちはイエス様を信じました。信じることが正しい理解と知識のはじまりではなかったでしょうか。「信仰は聞くことに始まり、聞くことはキリストのことばから来るのである。」と聖書は語っているからです。
さて、多くの弟子たちが、イエス様から離れ去っていきました。残された十二人の弟子たちに、「あなたがたも去ろうとするのか」とイエス様は問いかけられました。十二弟子たちは踏みとどまりました。1つの岩がある人にとっては助けの岩となれば、ある人にとってはさまたげの岩となったのです。イエス様は、そのようなお方でありました。

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