信じる者と信じない者
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2024.06.25
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章64~65節
[新約聖書] ピリピ人への手紙 2章13節
- 放送日
- 2024.06.25
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は、「信じる者と信じない者」という題でお話しましょう。イエス様は自分を信じて従ってくる人々の中に自分を裏切る者たちがいることを話されます。そして、イエス様はその裏切る者は誰かを、初めから知っておられたのです。ヨハネの福音書6章64節から。
さて、イエス様は言われました。「あなたがたの中に信じない者たちがいます。」あなたがた、というのは、イエス様の弟子たちのことです。イエス様の教えを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が「これはひどいことばだ。聞いていられない。」と小声で文句を言っていましたね。小声で文句を言うということは、イエス様に対して疑いの心を持っているのですから、もはやイエス様を信じて従えない、ということでしょう。信頼していなければ、イエス様に従うことはできなくなります。
ですから、作者のヨハネはこうコメントしました。「信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。」初めから知っておられたならば、裏切る者のような輩は弟子にしなければよかったのに、と私なら考えてしまいます。
ここに、私たち人間の自由意志の問題と、神の絶対主権的な選びの計画と予知の問題が横たわっているのです。ですから、イエス様は繰り返し神の選びと予知について語りました。「それだから、父が与えてくださった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである。」父なる神様が選んでイエス・キリストにお与えになった者だけが、どんなことがあってもイエス様を信じ、従っていくことができます。
ですから私たちは、神による選びの主権と同時に私たちの自由意志の両方を認めなくてはなりません。それは2本のレールのようです。1本のレールでは列車は走ることはできないし、危ないでしょう。私たちは決して神様のロボットではありません。かと言って、神様から独立した存在でもないのです。聖書のことばです。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(口語訳聖書のピリピ人への手紙2章13節)この聖書のことばは、神様の絶対的主権と私たち人間の自由意志の両方が語られているのではないでしょうか。
今日は、「信じる者と信じない者」という題でお話しましょう。イエス様は自分を信じて従ってくる人々の中に自分を裏切る者たちがいることを話されます。そして、イエス様はその裏切る者は誰かを、初めから知っておられたのです。ヨハネの福音書6章64節から。
さて、イエス様は言われました。「あなたがたの中に信じない者たちがいます。」あなたがた、というのは、イエス様の弟子たちのことです。イエス様の教えを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が「これはひどいことばだ。聞いていられない。」と小声で文句を言っていましたね。小声で文句を言うということは、イエス様に対して疑いの心を持っているのですから、もはやイエス様を信じて従えない、ということでしょう。信頼していなければ、イエス様に従うことはできなくなります。
ですから、作者のヨハネはこうコメントしました。「信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。」初めから知っておられたならば、裏切る者のような輩は弟子にしなければよかったのに、と私なら考えてしまいます。
ここに、私たち人間の自由意志の問題と、神の絶対主権的な選びの計画と予知の問題が横たわっているのです。ですから、イエス様は繰り返し神の選びと予知について語りました。「それだから、父が与えてくださった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである。」父なる神様が選んでイエス・キリストにお与えになった者だけが、どんなことがあってもイエス様を信じ、従っていくことができます。
ですから私たちは、神による選びの主権と同時に私たちの自由意志の両方を認めなくてはなりません。それは2本のレールのようです。1本のレールでは列車は走ることはできないし、危ないでしょう。私たちは決して神様のロボットではありません。かと言って、神様から独立した存在でもないのです。聖書のことばです。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(口語訳聖書のピリピ人への手紙2章13節)この聖書のことばは、神様の絶対的主権と私たち人間の自由意志の両方が語られているのではないでしょうか。