でっちあげの裁判

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • イースター

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アップロード日
2024.03.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 22章
放送日
2024.03.25

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今週はイエス・キリストが十字架につけられたことの意味を深く考える受難週です。受難週の最初の日曜日を「棕櫚の日曜日」と言います。それは、この日、イエス・キリストがろばの子に乗ってエルサレムに入られたとき、人々が棕櫚の枝を取って「ホサナ」と叫びながら出迎えたからです。「ホサナ」とは、もともと「私たちを救ってください」という意味のことばです。それが「万歳」のような歓びの叫びとして使われるようになっていきました。しかし、同じ週の金曜日には、人々は「イエスを十字架につけろ」と叫びたてました。何という変わり身の早さでしょう。
しかし、聖書を読むと、「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった」と書かれています。罪のないお方が十字架につけられるとは、なんと不条理なことでしょう。イエス・キリストは、わたしが来たのはあなたがたがいのちを得、豊かに持つためであると、語られました。そのことばのとおり、イエス様は人々を慰め、励まし、多くの人の病を癒やし、また、自分が誰だか分からなくなってしまったような、混乱しきってしまった人たちを立ち返らせていきました。
また、人はたとえ全世界を得ても、魂を損じたら何の得になるのか、と一人一人の存在の価値の大きさを語られ、分け隔てなく人々を愛していかれたのです。しかし、イエス様の周りに人が集まれば集まるほど、当時の宗教家たちのねたみは増していきました。そして、イエス様は捕らえられ、いい加減な審問を受けることになったのです。当時の宗教指導者たちは、次から次へと偽りの証人を呼び、証言させました。しかし、証言の中身が偽りなので、だんだん辻褄が合わなくなってしまうわけです。それで、大祭司がイエス様に言いました。
「あなたは神の子キリストなのか、答えよ」すると、イエス様は「あなたの言うとおりです。」と答えられました。すると、その答えに大祭司は激怒し「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要か。こいつは死刑にあたる」と結論を出したのです。当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にありましたから、死刑執行の権利はありませんでした。しかし、自分たちの宗教に関する問題の場合は「石打ちの刑」で死刑にすることができました。しかし、彼らは石打の刑で満足することが出来ませんでした。それでエルサレムに赴任していたローマ総督ピラトのもとに連れて行き、むごたらしい十字架刑を願い出たのです。

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