神様のわざが現れるため

出演者
持田浩次
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 愛する人を失ったとき
  • 病気のとき

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アップロード日
2024.03.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章3節
放送日
2024.03.08

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「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある、三郷教会の牧師、持田浩次です。
 だれでも、身の上に何か悪いことが起こると、何か自分に原因があるのではないかと考えます。その原因があったので、結果として悪いことが起こるという考えです。
 けれども、イエス・キリストは、これとはまったく違うことを教えられました。
ある時、イエス様と弟子たちが歩いていると、通り道に目の見えない男の人が座っていました。この人は、道を行く人たちからお金や物を恵んでもらっていました。
その時、弟子たちがイエス様に質問しました。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか」
聖書の時代のユダヤ人にも、「罰が当たる」という考え方があったようです。
するとイエス様は、はっきりと言われました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです」
そして、地面の土で泥をこねてから、その人の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」とおっしゃいました。そして、この男の人がそのようにすると、目が見えるようになったのです。
あなたにも、どうしてこんなことが自分に起こったのだろうと思うような苦しみがあるかも知れません。そのことで自分を責めたり、親を責めたりしなくても良いのです。
どうかキリスト教会にお越しくださり、そのことを牧師に打ち明けて、牧師と一緒に祈ってみてください。イエス様は、きっとその苦しみを用いて、神様のわざを現わしてくださると信じます。
今日の聖書の言葉、イエス・キリストの言葉。「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです』」ヨハネの福音書9章3節

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