ルカの福音書 144

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.03.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 6章
放送日
2024.03.01

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聴いて行う」人だと言われました。一方で土台のない家とは、イエス様のことばを聴きながらも行わない人のことだと言われるのです。
私たちには判断したり、決断しなければならない時があります。人を評価しなければならない時もあります。人を評価する人は、明確に評価基準を持っていないといけません。何が正しいか何が正しくないかをきちんと見定めることが出来ないといけないのです。判断する時にうろたえるような事があってはいけませんし、周りから見ても、「なるほど。それは分かる」という判断が出来ないといけません。感覚ではいけない訳です。その日の気分で裁いてしまってはいけません。「あの人はすごい」と勝手に持ち上げて、「あんな人だとは思わなかった」と勝手に人を落とすということもあるでしょう。では私たちが裁いてはならないと言われる時、どの基準で判断することが出来るのか。基準があるとするならば、聖書の基準です。その聖書の基準で、愛を持って人を量っているのでしょうか。
イエス様は「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです」とおっしゃいました。私たちの人に向けることばが、どこから始まっているのかということが問われているのです。裁き合ったり、罪に定め合うところから噂話で始まっているのであれば、悪い木からは悪い実しか実りません。悪い倉から悪いものが出てくるのです。良い木からは良い実が出てきますし、良い倉からは良い物が出てきます。私たちの心の土台がイエス様の愛によって、建てられているでしょうか。その愛で溢れているものが内側から外側へと出てくるのです。今日も私たちにイエス様は慰めのことばをかけてくださいます。励ましのことばをかけてくださるのです。そのイエス様のことばをまずよく聴きましょう。沢山そのことばを内側に蓄えるのです。その心の良い蔵にイエス様の良いことばを、愛のことばで満たしていくのです。すると私たちの中に愛のことばが溢れてきます。そうなるとその判断はびくともしません。「ここに来ると安心するなー」と、人々の信頼を勝ち得て、人生の大嵐の時にだって逃げ込んでこれる関係を築いていくことができるのです。

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