イエスを捜して

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.02.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章22~25節
[新約聖書] マタイの福音書 7章7節
放送日
2024.02.20

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は、「イエスを捜して」というお話しましょう。ヨハネの福音書6章22~25節になります。
5つのパンと2匹の魚によって5千人以上の人々を養ったイエス様のサイン、すなわち、しるしは、人々に衝撃を与えました。イエス様を王様に祭り上げようとした人々もいましたね。しかし、イエス様はそっとひとりで山へ退かれたのです。
さて、5千人の給食から一夜が明けました。群衆はガリラヤ湖の東海岸テベリヤの町で朝を迎えました。ガリラヤ湖畔には1そうの小舟しかありません。イエス様は昨晩、弟子たちとは舟に乗らなかったようです。ただ弟子たちだけが船出したのを人々は目撃していました。イエス様も弟子たちもいなくなったので、人々も舟に乗ってガリラヤ湖畔の町カペナウムにイエス様を捜し求めて追いかけて行ったのです。そして、イエス様の一行に出会うことができました。
ところで、人々は何の目的でイエス様を捜し求めていたのでしょうか。パンを食べて満腹したからでした。イエス様についていけば、食いっぱぐれがないと考えていたからです。
昔も今も、イエス・キリストを捜し求める人々には、3つのタイプの人々がいるのではないでしょうか。
1つは、自分の欲望や願いを満たすためです。イエス様は、自分にとっての便利屋です。自分の都合のために神様を利用する人々なのです。
2人目は、自分の心を満たしたいとイエス様を捜し求める人たちです。自分の考え方、自分の生き方、また、思想や感性を満足させてくれるお方として、イエス様を尋ね求めるのです。
そして、3人目は、イエス様が生ける神の子救い主だと信じ、イエス様のなさるしるし(サイン)を見て、信じ、ひたすら従う人たちではないでしょうか。
さて、私たちはどのような心と姿勢をもって、イエス様を捜し求めているでしょうか。しかし、どのような求めようであっても、イエス様と直接出会うことになりますように、祈っています。かつて私も、寂しくて、友達がほしくてキリスト教の集会へ行ったことを忘れることができません。聖書のことばです。「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します」(マタイの福音書 7章7節)

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