勇気をもって踏み出す

出演者
藤本 満(インマヌエル高津キリスト教会)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 病気のとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.01.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 5章28節
放送日
2024.01.12

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 「世の光」の時間です。神奈川県川崎市にある、インマヌエル高津教会の牧師、藤本満です。
昨日の放送では、新約聖書マルコの福音書の5章を見ました。今日はその続きに出てくる、12年もの間、出血の病気を患っていた女性のお話です。その女性は多くの医者にかかりながら、良くなるどころかかえって悪くなり、どんどん貧しくなって町の外のスラムに住 むようになります。イエスが通られると聞いて、どさくさに紛れて、イエスの衣に触ると、イエスから力が出て、女性は癒やされました。群衆の中には元気な人もいれば、悩みを抱えた人もいたことでしょう。しかし、この場面で、癒やされたのは、この女性ひとりです。
この出来事に登場する女性は、まさにあなたかもしれません。多くの人がラジオに耳を傾け、しかしイエスに触れた人は、あなたひとりであった、ということもあるでしょう。28節には「『あの方の衣にでも触れれば、私は救われる』と思っていた」と記されています。イエスの噂を聞いてから、ずっとそのように思っていたのでしょう。しかしこの場合、この女性が建物の陰に隠れて、ずっとそのような目で道行くイエスを見つめていても、「あの方の衣にでも触れれば」と何度思い巡らしても、癒やされなかったでしょう。重要なのは、勇気を出して、一歩踏み出したことです。とっさの行動であったことでしょう。しかし勇気を出して、一歩踏み出し、群衆に紛れてでも、後ろからでも、イエスに触れました。
信仰とは、神の力に期待して一歩踏み出すことです。この当時は、出血の病であると、人に触れることも、触れてもらうことも許されていませんでした。すると、この女性は、いつの間にか自分に対する劣等意識に染まっていったと思います。自分は神の恵みをいただく資格はない。病の苦しみに沈み、周囲から疎まれてきたのですから。しかし、この機会を逃すまいと、治りたい一心で手を伸ばしました。そしてイエスは触れられることを許されました。群衆から抜け出して、隠れていないで、一歩踏み出して、イエスに触れる、それが私たちの信仰です。それは、今すぐにでもできることです。

コメント

中野周治
『良くなりたいか?』『はい!主よ!』『私の心だ!聖くなれ!』

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中野周治
『婦人よ!あなたの信仰が、あなたを癒したのです!安心して健やかでいなさい!』

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