正気になってイエスの前に座る

出演者
藤本 満(インマヌエル高津キリスト教会)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2024.01.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 5章15節
放送日
2024.01.11

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「世の光」の時間です。神奈川県川崎市にある、インマヌエル高津教会の牧師、藤本満です。
今日は、新約聖書マルコの福音書5章の初めに記されている出来事から、「正気になってイエスの前に座る」と題してお話しいたします。
イエスは舟からあがられると、あまり人が行かない道を歩いて行きました。その道は墓場に通じていました。その道を行くことを人が嫌がるのは、墓場に悪霊につかれた男が住んでいたからです。凶暴で、鎖で縛りつけられて生きていました。石で自分の体を傷つけていたと記されています。
この男は私を象徴しているかのようです。精一杯努力しながら、なんの実りもない、まるでいのちのない墓場のような苦労だと思うことがあります。不安や疑い、うらみや怒り、ストレスという鎖に縛られていることも。懸命に生きているつもりが、実際は自分を生かすことができないかもしれません。
イエスは、墓場に住んでいる男に取り憑いている悪霊に向かって「この人から出て行け」とおっしゃいました。イエスが舟を下り、墓場に通じる道を歩んで来られたのは、この男と出会い、解放するためでした。イエスは、そのように私にも出会ってくださいます。
物語の最後のほう、マルコの福音書5章15節に次のような場面があります。出来事の噂を聞いて、町の人びとが彼のところにやってきました。すると、なんとこの男は「正気に返って座っていた」と記されています。正気に返って、イエスの前に座る、神の御前に座る。それは、「世の光」の放送を聞くことかもしれません。近くの教会にいらっしゃることかもしれません。
ただ座って、心を静めることだけではありません。人生の様々な出来事のただ中にあって、助けてくださった神に感謝する祈りもあります。解放された喜びを歌う讃美歌もあります。自分を傷つけることをやめて、自分を生かすために神のことばを、神の語りかけを聞きます。もしあなたが自虐的に生きているなぁと感じたら、神の御前に座って、イエスのことばに耳を傾け、正気を取り戻そうではありませんか。

コメント

いのりん
おはようございます。
今日は教会に行きます。
ただ座って、心を静めることだけではなく、人生の様々な出来事のただ中にあって、助けてくださった神様に感謝する祈りを捧げてきます。
喜びを歌う讃美歌を捧げてきます。
自分を傷つけることをやめて、自分を生かすために神さまのことばを、神さまの語りかけを聞いてきます。

藤本先生、6回、全部よかったです。感謝します。
よい聖日でありますように

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説教者
いのりんさん、短いお話ですが、メッセージを捉えてくださりありがとう。知らず知らずに正気で座れなくなっていくのが私たちです。賛美や祈りは正気に戻してくれます

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