神様の手

出演者
山本陽一郎
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2024.01.06
カテゴリ
人物・人生
放送日
2024.01.06

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。
私の祖父は、実直な人柄でしたが、あまり人に頼ろうとしない人でした。物心ついた時には両親はいなくて、兄と二人で必死に生き抜いてきました。そして、戦争へ。国のために大勢の仲間たちが死んでいく経験をしました。ですから、祖父が信じるものはいつも自分でした。自分の手で掴み取り、自分の力で道をひらく。そういう生き方だったのです。
しかし晩年、祖父は聖書の神様を信じ受け入れました。そのとき口にしたことばが忘れられません。「わしは今まで、自分の力で生きてきたと思っていた。でも、本当は、生かされてきたんだなぁ」それは感動的な、とても心に沁みるひとことでした。
私たちは人生を、自分の力で達成するように考え、またそのように教えられてきました。誰かに自分を開くこと、信頼することがうまくありません。まして神様を信頼するということは不慣れです。ですから、信仰でさえも、自分の意志や力でやるものだと思ってしまうことが多いように思います。
羽鳥明牧師は、この番組「世の光」で聖書のメッセージを半世紀以上にも渡って語り続けてきました。その羽鳥牧師が洗礼を受けた時のこと。年配の牧師からこう言われたそうです。「羽鳥さん、自分の信仰、自分の悟りが羽鳥さんを救ったと思ったら大間違いですよ。あなたが自分の手で神をつかんだのなら、その手はすぐに疲れて神を放してしまうでしょう。そうではないのです。神があなたを愛し、選び、つかまえていて下さるのです。神の手は疲れたり放したりしません」羽鳥明牧師の心の底に、このことがずっと焼きついていたそうです。
信仰は、自分自身の真実によって達成するものではありません。神様の真実によって支えられるものです。むしろ、私たちがクリスチャンになって実感することは、自分の不真実です。
けれども、神様は決して私たちの手を放したりしません。神様を信じた私たちを義と認めてくださり、神様の子どもだと言ってくださるのです。この神様の手にしっかりと抱かれて、私たちは生かされていくのです。

コメント

中野周治
『私は、決して、あなたから離れず、又、あなたを見捨てない!私の義の右の手で、あなたを守る!』

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近藤洋一
アーメン
イエス様の真実こそ土台です。

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