沖へ出でよ
- 出演者
- 山本陽一郎
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2024.01.04
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 5章4節
- 放送日
- 2024.01.04
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。
私たちの教会に、釣りが大好きな人がいます。捕れた魚の写真をアップしたり、魚料理をふるまってくれたりします。でも、もしせっかく早朝から出かけても、何も捕れなかったらガッカリですよね。
イエス・キリストは、ガリラヤ湖の岸辺で群衆に語りました。そんな中、漁師のシモン・ペテロは仕事を終え、網を洗っていました。彼はこの時、夜通し働いたのに一匹も魚が捕れなかったのです。ところがイエス様は……
ルカの福音書5章4節 「話が終わるとシモンに言われた。『深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい』」
このガリラヤ湖で漁師として生計を立てていたペテロは、言われた瞬間、どう感じたでしょうか。今網を下ろしてもあまり成果はないと思ったかもしれません。それでも、彼はこう答えたのです。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」
そして、イエス様が言われたとおり、沖へ漕ぎ出し網を下ろしました。すると、どうでしょうか。網が破れそうなほどの大漁になったのです!
祝福の原則がここにあります。それは、神のことばにシンプルに従うことです。自分の経験や方法、それはとても大切です。でも、ペテロのように、そこから神の方法に従っていくことが重要なポイントです。
これは、とにかく従えばいいんだということではなく、もちろん思考停止を求められているわけでもありません。シモンだって、徹夜で働いたけど何も捕れなかったんですよ、と言っていますよね。私たちだって懸命にやっているし、いろいろ考えているし、やり方だって学んできた。でも、うまく行かない。疲れた。泣きたい時もある。そういう現実、私たちの労苦や思いをイエス様は受け止めてくださるお方です。
しかし、そこで終わりではない。私たちは神様から招かれているのです。沖へ出て、網をおろしてみなさいと。「でも、おことばですので」。この応答が私たちにも必要です。神様は私たちをもっともっと祝福しようと待っていてくださるのですから。
私たちの教会に、釣りが大好きな人がいます。捕れた魚の写真をアップしたり、魚料理をふるまってくれたりします。でも、もしせっかく早朝から出かけても、何も捕れなかったらガッカリですよね。
イエス・キリストは、ガリラヤ湖の岸辺で群衆に語りました。そんな中、漁師のシモン・ペテロは仕事を終え、網を洗っていました。彼はこの時、夜通し働いたのに一匹も魚が捕れなかったのです。ところがイエス様は……
ルカの福音書5章4節 「話が終わるとシモンに言われた。『深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい』」
このガリラヤ湖で漁師として生計を立てていたペテロは、言われた瞬間、どう感じたでしょうか。今網を下ろしてもあまり成果はないと思ったかもしれません。それでも、彼はこう答えたのです。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」
そして、イエス様が言われたとおり、沖へ漕ぎ出し網を下ろしました。すると、どうでしょうか。網が破れそうなほどの大漁になったのです!
祝福の原則がここにあります。それは、神のことばにシンプルに従うことです。自分の経験や方法、それはとても大切です。でも、ペテロのように、そこから神の方法に従っていくことが重要なポイントです。
これは、とにかく従えばいいんだということではなく、もちろん思考停止を求められているわけでもありません。シモンだって、徹夜で働いたけど何も捕れなかったんですよ、と言っていますよね。私たちだって懸命にやっているし、いろいろ考えているし、やり方だって学んできた。でも、うまく行かない。疲れた。泣きたい時もある。そういう現実、私たちの労苦や思いをイエス様は受け止めてくださるお方です。
しかし、そこで終わりではない。私たちは神様から招かれているのです。沖へ出て、網をおろしてみなさいと。「でも、おことばですので」。この応答が私たちにも必要です。神様は私たちをもっともっと祝福しようと待っていてくださるのですから。
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