天国にふさわしい人

出演者
内田 耕治(ライトハウス宇部キリスト教会)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.11.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章3節
放送日
2023.11.16

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「世の光」の時間です。山口県宇部市にあるライトハウス宇部キリスト教会、牧師の内田耕治です。
最初に聖書をお読みします。新約聖書マタイの福音書5章3節。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」
一般的に天国について2つの間違った考え方があります。1つは“自分こそ天国にふさわしいと思うこと”です。そう思う人は、仕事でも人間関係でも人生でも上手くやっていて、みんなに尊敬され何事においても成功した人たちに多いと言えます。
そういう人たちは、自分は力のある豊かな者だと思い、その調子で天国にもすんなり入れるように錯覚します。けれども「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」というみことばは、その錯覚から目覚めさせてくれます。
もう1つは“自分は天国に入るのはまったく無理だと思うこと”です。そう思う人は、仕事でも人間関係でも人生でも失敗ばかりで、だれにも顧みられない人たちに多いと言えます。そういう人たちは、自分は力のない貧しい者だと思っています。
けれども「心の貧しい者は幸いです」というみことばは、そういう人たちに諦める必要はないと教えています。ただし、自分は力のない貧しい者だと嘆くだけでは希望がないし、天国に入ることはできません。
イエス様は「心の貧しい者」と言いました。「心」ということばがあります。「心が貧しい」とは、自分を低くすることです。へりくだった心を持つことです。では、自分を低くしてへりくだるのは何のためか?それは教えを聴くためです。だから、自分こそ天国にふさわしいと思う人も、自分には天国は無理だと思う人も、自分を低くしてへりくだった心で教えを聴くなら「心の貧しい者」になることが出来ます。
では、だれの教えを聴くのか?「心の貧しい者は幸いです」と教えてくださったイエス様です。
私たちは、善良な人であっても神の前に出たら罪ある者です。罪があるままで天国に入ることはできません。けれども、イエス様は、私たちが天国に入ることが出来るように、私たちの罪のために十字架にかかって、私たちに罪の赦しを与えてくださいました。
だから、十字架にかかられたイエス様の言われることを聴いて信じれば、だれでも天国に入ることが出来ます。この世の貧しさを嘆くことも、豊かさを誇ることも天国の前では空しいことです。イエス様の語られたことをよく聴き「幸いな心の貧しい者」となり、天国を目指していきましょう。

コメント

中野周治
『神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを、御与えになります!』『主の前に、へり下りなさい!』『主を畏れる事は知識(知恵)の始め!』

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