神の誉れ、王たちの誉れ

出演者
福井誠
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき
  • 朝聴きたい

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アップロード日
2023.11.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 箴言 25章2節
放送日
2023.11.09

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠が担当する第4日。今日も、聖書の箴言を開きます。継続は力です。本当は、一節一節丁寧に取り上げたいところですが、聖書は語ることが多くありますから先を急ぎましょう。今日は「神の誉れ、王たちの誉れ」と題してお話をいたします。初めに聖書のことばをお読みします。旧約聖書 箴言25章2節。
「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」
箴言の25章からは、古代イスラエルの王ヒゼキヤがソロモン王の格言集を編集したものです。ヒゼキヤは、ソロモンからおよそ200年も後の時代の王です。200年の間、どこにどのようにソロモンの格言集が埋もれていたのか、不思議ですが、ヒゼキヤは、見つけた格言集も後世に伝えなくてはと考え、ソロモンが書いたと言われている1章から24章の箴言本体に付け加えたというわけです。
そこで付け加えられた25章からの箴言の特徴ですが、それはどうも、一般に帝王学と呼ばれるもので、つまり1つの国の王としての心得、また臣下の心得について語るものです。そのような意味では、政治家を対象にしているようでもあるのですが、実際には、私たちにも有益な真理を教えています。
まず2節、「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」わかってわからないような言い方ですが、簡単に言えば、神と王は、紙一重、同じような存在と考えてはならない。全く別物だということです。神は全知全能、はかり知ることができない存在。人間はその計り知れない神を探る存在に過ぎない。たとえ王であっても、ということでしょう。
しばしば人は、何かに優れた人を神のようにあがめ、おかしげな世界を作り出してしまうことがあります。実際、日本人は、天皇を神として崇拝し、アジア侵略の戦争を引き起こす大きな間違いを犯しました。神と人は異なる者である、人の上に立つことがあっても、人としての弁えを忘れない、一般的にも同意できる教えです。良き信仰は、常識的でもあるのです。では、今日も良き一日となるように祈ります。

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