本当の平安

出演者
森 敏(福山ミッション・シャローム 高島チャペル 牧師)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2023.09.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 14章27節
放送日
2023.09.26

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「世の光」の時間です。福山市にある高島チャペルの牧師の森 敏です。
ヨハネの福音者14章27節をお読みいたします。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」
聖書は、「神を信じればすべてがハッピー!」とは言っていません。キリストは、「あなたがたは世にあっては患難があります」とも仰っています。あるユダヤ人聖書学者が、「聖書が言う平安は、正確に英語や日本語に訳せないことばである。あえて訳せばpowerful peace、力ある平安だ」と言っていました。
それは肉体的、精神的状況に左右されない霊的平安です。人間的に見たらどこから慰めが来るのかという、平安とはほど遠い状況にあっても、なおかつ保たれる心の深いところにある平安です。私たちのあらゆる状況、あらゆる困難、それらすべてを覆いつくしてしまう、静かであるけれども、力ある平安、それが、キリストが仰った「わたしの平安」です。 
では、キリストは、一体この平安をどのように私たちに与えてくださるのでしょうか。私たち家族は10年、ネパールで奉仕しましたが、同じプロジェクトにもう一人、日本の方がおられました。日本キリスト教海外医療協力会から派遣された外科医、伊藤邦幸先生です。私たちは1992年8月に帰国しました。伊藤先生はその一ヶ月後の9月に一時帰国され、アメリカで地域保健医療短期研修に出かけたその旅先で、脳梗塞で倒れられ、ベッドから立ち上がれぬ身となられました。
年が明け、先生から年賀状をいただきました。次の発作が起きたら天に召されることをご存じで詠まれた歌です。

「誰みても とりかえばやとは思わざり 62歳の生涯なれど」

この死にも打ち勝つキリストの平安は、どこから来るのでしょうか。哲学者であり、医師であった先生は、単純にキリストの復活を信じ、十字架の罪の赦しを信じ、ご自分の永遠のいのちを信じておられました。キリストが与えると仰った平安は、その信仰を通して与えられます。あなたもその平安に、招かれています。

コメント

中野周治
『私は甦りです!命です!私を信じる者は死んでも生きるのです!』

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