慰めをもたらす者へ

出演者
山口英希(日本基督教団 宮崎清水町教会)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.09.14
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 6章7、8節
放送日
2023.09.14

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「世の光」の時間です。宮崎県宮崎市にある宮崎清水町教会の牧師、山口英希です。
今年も各地で大雨が相次ぎ、「またか…」と日常生活に痛みを覚える方々が少なくなかったかと思います。
聖書にも洪水の出来事が記されており、なぜ神様はこのようなことを…と嘆きたくなる私たちに、今朝は「慰め」ということばが響いてきます。
聖書、創世記6章7~8節「そして主は言われた。『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。』しかし、ノアは主の心にかなっていた」
神様が人を造ったことを悔やんだ理由は、人が何でも自分の欲望に従って物事を選び、各家庭の崩壊を誰も止めることができなくなっていたからです。
しかし、この「悔やむ」ということば、実は「慰め」という意味もあります。洪水は、人のいのちを無に帰そうとする意志によってではなく、傷つけあう人の罪の歴史にストップをかけるため、人のいのちを慰める意志から出ているというのです。そのために選ばれた人物こそ、「慰め」という意味をその名前に持つ「ノア」でした。
ノアも欲望との葛藤を持つ点では、周りの人と何も変わらない人物でしたが、決定的に違っていた点がありました。「主の心にかなっていた」つまり、神様の一方的な好意を得たというのです。「自分には何の取り柄もないけど、慰めをもたらす者として選んでいただいた」このことが、ノアの途方もない箱舟づくりを後押しします。それは、数十年にもおよび、毎日、毎日、同じような作業に「空しいなぁ」と投げ出してもおかしくありませんでしたが、神様の選びの確信があったので、急がず休まずの歩みを継続できました。人類は洪水という痛み悲しみを通って、人の痛み悲しみに慰めをもって寄り添えるようになりました。
日常生活に空しさを抱き、また繰り返し襲う試練に打ちのめされるようなことはありませんか。教会は箱舟に例えられます。あなたの空しさ、痛みを慰めることができるお近くの教会に、足を運んでみませんか。あなたの痛みは決して無に帰されることなく、誰かのいのちの輝きへと必ず変えられると信じています。

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