些細な祈りも
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2023.09.07
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 11章9節
- 放送日
- 2023.09.07
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。今週はイエス・キリストがお語りになったたとえ話から、祈りについてご一緒に考えています。前回は、生ける神様を求めて、失望せずに祈っていこう、というお話をしました。
イエス・キリストはルカ11章のたとえ話の後、大変有名なことばをお語りになりました。ルカ11章9節「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」と。
この「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」ということばは、「求め続けなさい」「捜し続けなさい」「たたき続けなさい」という継続を示すことばです。一度であきらめてしまわずに、継続的に執拗に祈り続けることが大切ですよ、とイエス・キリストは教えられました。しかし、私たちは、そうは言っても、祈り続けることを止めてしまうことがたびたびありますよね。それは、いくつかの理由があるからです。
そのひとつは「神様は現実の生活に関わりのない方ではないか」と思ってしまうからです。神様は私の生活とは関わりがないと考えたら、神様に祈り求めようとはしませんね。ときどき、神様に祈ることは、信仰的な、非常に高尚なことなのだから、そんなにしつこく、それも日常の些細なことまで祈ることはしてはいけないのではないかと思っている人がいます。
しかし、神様は、私たちの衣食住から生活のすべてに関心を持っておられ、私たちの必要を満たそうと働かれるお方です。ですから、イエス・キリストが弟子たちに教えられた祈りの中には「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と教えられていますよね。私たちはどんな些細なことでも祈り求めていけばいいのです。私が大学生の時、神様はほんとうに祈りに答えてくださる方なのかを調べてみようと思ったのです。大学ノートに自分が祈った祈りを箇条書きにしました。そして、答えられた祈りは、その上に赤い線を引っぱっていったのです。
どうなったと思いますか。大学ノートはほとんど赤い線で埋め尽くされたのです。ただ、神様は愛なる秩序のある方ですから、自分勝手な神様の愛に背くような祈りに対しては、「NO、それは与えない」という答えをもらいました。またある時は、「そのことはしばらく待ちなさい」ということも教えられました。祈ってみて、神様は生活の些細なことのなかにも働いてくださっている、ということを知ったのです。これはやってみる価値がありますよね。
イエス・キリストはルカ11章のたとえ話の後、大変有名なことばをお語りになりました。ルカ11章9節「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」と。
この「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」ということばは、「求め続けなさい」「捜し続けなさい」「たたき続けなさい」という継続を示すことばです。一度であきらめてしまわずに、継続的に執拗に祈り続けることが大切ですよ、とイエス・キリストは教えられました。しかし、私たちは、そうは言っても、祈り続けることを止めてしまうことがたびたびありますよね。それは、いくつかの理由があるからです。
そのひとつは「神様は現実の生活に関わりのない方ではないか」と思ってしまうからです。神様は私の生活とは関わりがないと考えたら、神様に祈り求めようとはしませんね。ときどき、神様に祈ることは、信仰的な、非常に高尚なことなのだから、そんなにしつこく、それも日常の些細なことまで祈ることはしてはいけないのではないかと思っている人がいます。
しかし、神様は、私たちの衣食住から生活のすべてに関心を持っておられ、私たちの必要を満たそうと働かれるお方です。ですから、イエス・キリストが弟子たちに教えられた祈りの中には「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と教えられていますよね。私たちはどんな些細なことでも祈り求めていけばいいのです。私が大学生の時、神様はほんとうに祈りに答えてくださる方なのかを調べてみようと思ったのです。大学ノートに自分が祈った祈りを箇条書きにしました。そして、答えられた祈りは、その上に赤い線を引っぱっていったのです。
どうなったと思いますか。大学ノートはほとんど赤い線で埋め尽くされたのです。ただ、神様は愛なる秩序のある方ですから、自分勝手な神様の愛に背くような祈りに対しては、「NO、それは与えない」という答えをもらいました。またある時は、「そのことはしばらく待ちなさい」ということも教えられました。祈ってみて、神様は生活の些細なことのなかにも働いてくださっている、ということを知ったのです。これはやってみる価値がありますよね。