失われた一匹の羊

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.07.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 15章
放送日
2023.07.03

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今週はイエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えていきましょう。新約聖書のルカの福音書15章に書かれているお話です。ある人の百匹の羊のうちの一匹が迷い出てしまったという話です。
パレスチナ地方の狭い高地の両側には、岩のごつごつした荒れ地が続いています。羊がそこに迷い込んでしまい迷子になると大変危険です。また、迷子になれば外敵にも、すぐにやられてしまいますね。また、この地方は特に乾季のときには、羊飼いにとっては緑の牧草地を見つけるのは大変な仕事でした。そして、羊飼いはそれぞれの羊に名前をつけて、見分けることができたそうです。
さて、今日の「たとえ」に登場する人は、百匹の羊を持っていました。しかし、その中の一匹がいなくなってしまったのです。すると、その人は、九十九匹を野原に残して、一匹を捜しに出かけて行きました。羊飼いは懸命に迷子になった羊を捜しまわりました。
そして、ついに羊を見つけると、その羊をかついで帰ってきたのです。羊は、さまよい歩いて疲れていたことでしょう。怪我をしていたかもしれません。不安や恐怖で震えていたかもしれません。ですから、途中で暴れ出さないように両足をしっかりとつかんで、この羊飼いは帰ってきたことでしょう。そして、友だちや近所の人を呼び集めて、羊が見つかったことを周りの人たちと大喜びしたという、そういう誰でもよくわかるお話です。
そこで、イエス様は、このたとえの締めくくりにこう言われました。「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」と。 
実は、迷い出た羊は罪人のひとりだというわけですね。罪人とは犯罪人という意味ではありません。神様と自分との関係がずれてしまい、切れてしまっているという状態、断線しているような、そのような状態のことを指すのです。
この例えで言うなら、あるべき所から離れてしまい「迷子になっている」という状態です。もちろん、今は優秀なナビケーションシステムもあるので迷子にはならないかもしれません。でも、人生においてはどうでしょうか。あなたはどこからきて、どこへ向かっているのですか。あなたは自分自身の存在の価値を見失っていませんか。イエス様は、そんな迷子になった羊を私たちにひとり、ひとりに例えて、そんなひとり、ひとりを救うために来たのですよと、このたとえをもってお話になったのです。

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