神の知恵に聴く-1 箴言16:25

出演者
原田憲夫
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 一歩踏み出したいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.06.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 箴言 16章25節
[旧約聖書] イザヤ書 53章6節
放送日
2023.06.12

いいね登録

     登録数:4

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。今週、担当します原田憲夫です。私は今「巡回宣教使」と呼ばれ、各地にキリストの良き知らせをお届けしています。
さて今日は、私が「神の知恵」と呼ぶ旧約聖書 箴言へ、皆様をご案内したいと思います。
箴言16章25節をお読みします。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」今日この放送をお聴きくださっている方の中に、「道に迷った」経験のある方がいらっしゃるでしょうか。
以前、私はある方を訪ねて、初めての土地に出かけました。まだ車にナビが付いてなかった頃ですが、住所からすぐにわかると自信がありました。ところが「あれっ、ここはさっき通ったぞ」と、同じ場所を二度も走っていたのです。
今日の神の知恵(箴言)は、そんな私たちに「あなたは大丈夫ですか」と注意を促します。
昔、イザヤという預言者がこう語りました。「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。」(イザヤ53:6)つまり、私たちはみなこの羊と同じで、羊飼いに例えられる神様に背を向け、「メェーメェー(銘々)」自分勝手な道を行き、その結果、「いのちの道」から迷い出ていると言うのです。
そして、この神様に背を向け、道から外れた自分勝手な生き方を、聖書は「罪」と呼んでいるのです。けれども、ある方はこう思うかもしれません。「なに、私は大丈夫だ!」「余計なお世話だ!」
そうでしょうか。道から迷い出た羊を待っているのは、確実な「死」です。自分勝手な道に向かう人が行き着く先は滅びなのです。そんな私たちに預言者イザヤはさらにこう語ります。「しかし、主は私たちのすべての者の咎を彼に負わせた。」(イザヤ53:6)
この「彼」とは、救い主イエス・キリストです。神様は死に至る道をさまよっている私たち人間を救うために、救い主キリストをこの世に送られました。クリスマスですね。
そして、キリストは私たちを死から、滅びから救い出し、永遠の救いを与えるために、私たちの罪、過ちのすべてをその身に引き受け、十字架の上でご自分のいのちをもって私たちの罪を贖われたのです。
今日の神の知恵(箴言)が、私たち、あなたに語りかけています。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」
あなたは大丈夫ですか。あなたも一度、「立ち止まって」みてください。そして十字架のキリストを心に迎え、いのちに至る道を歩み始めてください。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ