あなたは休んでいますか?6

出演者
豊田信行
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.05.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 9章2節
[新約聖書] マタイの福音書 11章28節
放送日
2023.05.27

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。ニューライフキリスト教会牧師の豊田信行です。安息の学びも最後となりました。
聖書のなかで、イエスは「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と招いておられます。疲れた人、重荷を負っている人とは、自分が自分の人生の最終責任者と言う担いきれない重荷に押しつぶされそうになっている人を指しています。また、疲れた人、重荷を負っている人とは、罪責感に押しつぶされそうになっている人も指しています。罪責感は「許されない苦しみ」ともいえます。傷つけてしまった人、裏切ってしまった人に心から謝っても許してもらえない、その苦しみに加えて、自分のことが許せない苦しみもあります。
あるとき、イエスのもとに中風の人、今で言うと、脳血管障害等で半身不随になった人が板の上に乗せられて運ばれてきました。イエスは、その人を運んできた人々の信仰をご覧になられ、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と宣言されました。中風を患っている人も、その人を運んできた人たちも、病が癒やされることを願っていましたが、なぜイエスは半身不随になり、自分では歩くことができなくなった人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われたのでしょうか。中風という病が彼の犯した罪への刑罰だったのでしょうか。
そうではありません。イエスは、彼の心を四六時中苦しめていた罪責感の苦しみをご覧になられたからです。聖書は、彼がどのような人生を歩んできたのか、どのような過ちを犯したのかについては何も語りません。しかし、「子よ、しっかりしなさい。」とのイエスのことばから、その人が生きる意欲を失いかけていたことがわかります。病の苦しみは、人から生きる意欲を奪いますが、罪責感は生きる意欲だけではなく、生きる意味さえも奪います。イエスが「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言われた休息、安息とは、私たちが抱えている罪責感という重荷を、神の御子であるイエスが引き受けてくださり、十字架の上でご自分のいのちをもって罪を償い、赦しを与えてくださるためです。イエスが「あなたの罪は赦された」と宣言されたのは、赦しこそがその人に生きる意欲と生きる意味を回復させるからです。
神の御子イエスは「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と招いておられます。明日は日曜日です。お近くの教会にぜひ足を運んでください。神様は、あなたを待っていてくださいます。

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