起きて、歩きなさい

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.05.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章5~9節
放送日
2023.05.12

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「起きて、歩きなさい」という題でお話しましょう。
朝起きて、布団を畳んで、歩き出して、一日を始めることは普通の人には当たり前のことです。しかし、病気の人には無理です。イエス様がこの世に来られた目的の一つは、自分で起きて、ひとり歩きできない人を癒やすためです。ヨハネの福音書5章5節から9節です。
さて、エルサレムの都の羊の門のそばにあったベテスダの池には、5つの回廊、すなわち屋根付きの廊下のような通路を兼ねた場所がありました。そこに38年の間、病気に悩み苦しんでいる人が横たわっていたのです。
38年の長さは、全く癒しの望みがないことを物語っていますね。イエス様は、多くの病人たちがベテスダの池の廊下に横たわっている中で、この38年の間、病気で悩んでいる人に目を留められたのです。そして、その人に言われました。「治りたいですか」 もちろんでしょう。治りたいために38年、彼はこのベテスダの池の廊下にいました。水が動いた時、真っ先に水に入れば、癒やされたからです。飛び込みたいと思ってもできませんでした。治りたい一心でした。その心をイエス様は確認したかったのでしょう。
イエス様の質問に38年間、病気の人は答えました。「主よ、水が動く時、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです。」 彼は38年の病床において、自分の限界を知り、また人の自己中心性を知り尽くしていたのです。それにしても、彼の忍耐強さは辛抱のない私たちを励ましてくれます。
イエス様は彼に言われました。「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい。」 すると、その人はすぐに癒やされ、床を取り上げて歩いて行ったのです。
イエス様は言いました。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」イエス様は罪人である私たちを病人のように見てくださいました。そして、自分で立ち、自分の寝床すら運べず、自分の足で独り立ちできない病人のような私たちを丈夫な人としてくださったのです。

コメント

中野周治
罪を赦す神様の御業(みわざ)は神様の御心(みこころ)であり、安息日は、神様の御心(みこころ)を再確認する日です!安息日は、罪赦されている事を改めて覚える日であって、ただの体休めではありません!罪赦される事に安息日は、無いのです!イエス様は安息日にも働かれる癒し主です!

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