べテスダの池

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.05.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章1~4節
[新約聖書] ヘブル人への手紙 1章14節
放送日
2023.05.11

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は不思議な癒やしの力を持った一つの池の話をしましょう。その池の名はベテスダと呼ばれていました。ヨハネの福音書5章に入ります。今日は1節から4節までです。
さて、イエス様はガリラヤ滞在の後、ユダヤ人の祭りがありましたので、エルサレムの都に登られました。ユダヤ三大祭りの一つです。この祭りにも、国内外からたくさんの巡礼者たちがエルサレムの都にある神殿に集まってきていました。ですから、イエス様は神の国の教えを多くの人々に宣べ伝えたかったのです。また、神の国の祝福を人々に表したかったのです。
ところで、エルサレムの都には、羊の門があり、その門は神殿で生け贄となる動物である羊が通る門でした。この門を通ると、すぐそばに羊市場があり、羊に水を飲ませるベテスダの池があったようです。そこには、5つの回廊、すなわち屋根付きの廊下がありました。
また、神殿に礼拝に行く人々が頻繁に出入りする場所として有名な池でした。そして、その5つの屋根付きの廊下には、おびただしい数の病人がいたのです。目の見えない人、足の不自由な人、やせ衰えた人たちでした。彼らは5つの廊下で、ある者は座り、ある者は体を横たえていたのです。
二つの目的が考えられます。一つは、たくさんの巡礼者たちが祭に来ていますので、おそらく施しを乞うためだったのでしょうか。もう一つは、3節と4節に書いてある通りです。こう書いてあります。「彼らは池の水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使いがこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、癒やされたからである。」昔も今も主なる神様は、ことばを通し、また御使いを通して、私たちを癒やしてくださるということです。病気を癒やしてくださるのは主なる神様です。「わたしは主であって、あなたを癒やす者である。」と父なる神様は、聖書の中に約束されました。そして、私たちにご自分に対する信仰と従順を求められるのです。
聖書のことばです。「御使いはみな奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために、遣わされているのではありませんか。」ヘブル人への手紙1章14節

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