あなたはどう読むのか?

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.05.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 10章
[旧約聖書] レビ記 18章5節
放送日
2023.05.05

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス・キリストがルカの福音書10章で「強盗に襲われた旅人を助けた良きサマリア人」のたとえを話されました。今日は、このたとえ話が語られた経緯を見ていきましょう。
あるとき、律法の専門家がイエス・キリストのところに来ました。律法とは聖書に書かれている神様の戒めのことです。彼らは聖書のことを大変よく知っていました。この専門家がイエス様に、「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」と質問してきたのです。
それに対して、イエス様は、「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と言われました。すると、彼は、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』と聖書には書かれています。」こう答えました。
さすがに律法の専門家ですね。この人は、完璧な模範解答をしたわけです。旧約聖書のレビ記18章5節には、「あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれらを行うなら、それらによって生きる。」と書かれています。この人は「自分は戒めをちゃんと守っているから聖書に書かれている永遠のいのちを受けることができる。」と自信があったようでした。
イエス様はこの人に「そのとおりです。神様の戒めを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と言われました。すると再び律法の専門家は質問しました。「私の隣人とは、いったいだれのことですか」と。そこでイエス様は、サマリア人のたとえを話されたのです。
この律法の専門家は「神を愛し、隣人を自分自身のように愛せよ」という戒めが律法の中心であるということを聖書からきちんと読んでいました。しかし、「隣人」とは誰かということについて、聖書から理解していませんでした。律法の専門家は「隣人」とは、同胞のユダヤ人のことであって、異邦人やサマリア人たちは隣人ではないと考えていたからです。
聖書が全体を通して教えていることは、人は神様の戒めを完全に守ることのできない弱い存在だということです。どんなに努力をしても戒めを完全に守り、自分を救うがことができないのだと教えているのです。だからこそ、救い主キリストが必要なのですね。
この律法の専門家は、聖書をよく読んでいましたが、聖書を理解していませんでした。そのことを気づかせるために、イエス様は良きサマリア人のたとえを話されたのです。

コメント

中野周治
聖書の言葉を只、👁️目で追っている👀だけでは、神様の御心を知る事は出来ません!聖霊によって、心の👁️👀目を開いていただき、神様に問い掛けながら、自問自答しながら、聖霊によって、心の👁️👀目で、聖書を読むのです!

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あかね
いつも為になるお話、ありがとうございます。貴方の知識は素晴らしいもの。そして優しい言葉ですね。人々に惜しげもなくその知識を伝えてくださるその優しさはこの世を救うと、私はそう感じました。

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Taki
旧約聖書のユダヤ人も中世期の十字軍もまた宗教革命の時も聖戦という名目で人を殺していたのは事実です。さてイエス様の隣人とは縁のある人だと自分では定めました。世界中の人を愛すと言ってボランティア活動してる人が職場や近所の人に文句ばかり言ってて交わってなければ本末転倒です。イエス様の教えは自分の右の頬を打つ目の前の人に対しての心のあり方です。つまり倒れてるサマリア人とは縁ができたのに自ら縁を切ったことです。 イエスは弟子たちに互いに愛し合うように伝えてます。 目の前の人とかが対象であって自分の範囲にある人は隣人です。

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