神殿の幕が真っ二つに

出演者
岩井基雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.04.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 15章38、39節
放送日
2023.04.20

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
神と人間を隔てているものが2つあります。1つは私たちの心の闇である罪と、それを象徴するもう1つの隔ては、神を礼拝する神殿にあった幕でした。一年に一度だけ、大祭司が、その幕を通って、至聖所と呼ばれる場所に入り、神の民の罪の赦しのためのわざを行うことができたのです。
 すなわち、人々と神の間にはこの神殿の幕が立ちはだかり、隔てていたと言えるのです。それは罪の象徴だったのです。そして、イエス・キリストが十字架刑で死なれた時に、この神殿の幕が裂けたことが記されています。
聖書はこう語ります。「すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」新約聖書マルコの福音書15章38節
通常私たちが大きな幕を裂く時は下から上に裂きますが、ここには、上から下までと記されています。この神殿の幕は大体20メートルくらいあったようです。歴史家のヨセフスは、この幕は10センチの厚さがあって、それぞれ反対方向に結ばれた馬が引っ張っても破れなかったそうです。また、この分厚い幕が青、紫と朱色のより糸でできていたとも聖書に記されています。美しく分厚い膜でした。
人間の手はおろか、動物の力を使っても裂くことのできなかったこの膜が上から下まで裂けたのです。それは、神ご自身が神と人を隔てる幕を破ってくださり、神と人との交わりの道を開かれたからです。そのためのキリストの十字架刑でした。このキリストの十字架によって、私たちの罪が赦され、神との交わりの道が開かれたのです。
 十字架刑のすべてを見ていたローマの百人隊長の証が聖書に記されています。「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。『この方は本当に神の子であった。』」マルコの福音書15章39節
 十字架での壮絶な苦しみの中でも、自分を十字架につけた人々の赦しを祈る姿に百人隊長は驚いたことでしょう。そして、「この方は本当に神の子であった」と証ししたのです。
キリストは神と人、人と人の隔てをすべて打ち破り、救いのわざを完成してくださったのです。

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