王と負債のあるしもべ -1-

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2023.03.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 18章
放送日
2023.03.21

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
前回は、ペテロがイエス様に「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」と問うと、イエス様は「七回を七十倍するまでです。」と答えられました。そこで、イエス・キリストはこんなたとえを話されました。
王がしもべたちとの清算の作業を始めました。決算書を作成したということですね。調べてみると、なんと一人のしもべが王からあり得ないほどの借金をしていることがわかったのです。なんと1万タラントもの借金です。日本円に換算すれば、6000億くらいになると思います。個人が返済するのは到底不可能な額です。王は、このしもべにすべてを売って返済するように厳しく命じました。しかし、どう考えても返済の目途など立つはずがありません。
すると、王は、なんとこのしもべをかわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやったのです。こんな気前のよい話からこのたとえははじまっているのですね。このたとえは、神様の赦しというものが、どのようなものかを知ることができるたとえなのです。
王とは神様のことです。では、多額の負債を負ったしもべとは誰のことでしょう。実は、私たち一人一人のことなのですね。「私は、神様にそんな多額の借金などしていない」と思うかもしれません。でも、どうでしょうか。私たちはこうして生きているということは、神様からたくさんのものが与えられているからです。もし太陽が一瞬たりとも光を失ったら、あるいは、空気がなくなったら、私たちは生きていくことができませんね。
また、神様の前に自分は罪のない正しい人だと言える人などだれもいません。「皆、自分で解決することの出来ない罪の負債を抱えているんですよ」と聖書は教えています。私たちが、その負債を自分の力で帳消しにしようとするなら、それは不可能です。自分でどんな犠牲を払ったとしても、神様に対する負債を返すことなどできないのだとこのたとえは教えています。
でも、王はそのしもべを「かわいそうに思って」すべての負債を免除したとあります。神様は私たちが負債に苦しむ姿を見て、深くあわれみ、赦し助けてくださる方なのだというのですね。しかし、負債を免除することは、その負債を神様がそのままかぶるということです。あなたが赦されるためには大きな犠牲が払われる必要があるのです。聖書は、イエス・キリストが私たちの負債を全部背負ってくださり、十字架についてくださったのだと教えています。神様の赦しというものはイエス・キリストの大きな犠牲があるということを忘れてはならないのですね。

コメント

中野周治
全ての罪は贖いの代価、イエス・キリストによって、もう既に赦されているのですね!

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