十字架の苦しみを味わい尽くしたキリスト

出演者
岩井基雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.03.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 15章22~24節
[新約聖書] ペテロの手紙第一 2章24節
放送日
2023.03.01

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
イエス・キリストと2人の犯罪人は、「ゴルゴタ」と呼ばれる死刑場までいきました。その後のことを聖書はこう語ります。「彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。」新約聖書 マルコの福音書15章22~24節
 ゴルゴタとは、どくろ、すなわち人間の頭蓋骨を意味する名前ですが、そこがローマによる処刑、十字架刑が行われる場所でした。十字架刑は、今では決して行わない惨い死刑の方法で、ローマ人には行われませんでした。ローマに支配されていたイスラエルにとって、そこは屈辱的な場所でしたが、イスラエルの祭司長たちはキリストを殺すために、ローマの処刑法を利用したのです。
手足に長い釘を貫き、十字架に釘づけにする十字架刑は、その肉体的な苦痛にとどまらず、人々の目にすべてがさらされる精神的な苦痛を伴うものでした。
 処刑される人には、痛みの緩和のため没薬を混ぜたぶどう酒が与えられましたが、イエス・キリストはそれを受けませんでした。徹底して苦しみを味わい抜かれたのです。しかも、イエス・キリストの場合、肉体的、精神的苦痛に加えて、父なる神様から完全に見捨てられ、私たちの身代わりに裁かれるという霊的な苦痛さえも伴っていたのです。
 キリストの衣服は、くじ引きで当たったローマ兵に与えられます。屈辱的な扱いですが、それは旧約聖書ですでに預言されていた事の成就でした。キリストはすべての嘲りも、苦痛も、神に見捨てられる永遠の裁きもすべて受け尽くしてくださったのです。
 そこにこそ、私たちの罪の赦しの道があったからです。聖書はこう語ります。「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」新約聖書 ペテロ第一の手紙2章24節
 あなたもこのイエス・キリストの十字架の意味を、自分のこととして考えてみませんか。イエス・キリストはあなたの救いのために十字架の苦しみを受け尽くしてくださったのです。

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