光よりも闇を愛した

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2022.11.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 3章19~21節
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章12節
放送日
2022.11.16

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「光よりも闇を愛した」という題でお話ししましょう。大きな石を取りのけますと石の下から、小さな虫が急いで逃げていくのを見ることがあります。太陽の光がまぶしすぎるからでしょう。私たち人間も光よりも闇を愛したのです。
 ヨハネの福音書の3:19~21をお話したいと思います。まず、19節「神のさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々は光よりも闇を愛したのである。人々はその行いが悪かったからである。」
 私たちの悪行は暗闇の世界で隠れて行われるのです。太陽の光の下で堂々と行われることは稀でしょう。光であるイエス・キリストのもとに来ないのは、自分の悪行のためであって光のせいではありません。神の裁きは自己の責任であって、他人でも、まして神のせいでもないのです。
 次に、私たちが光よりも闇を愛した理由は20節です。「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、自分の悪が暴かれるのを恐れて光にこようとはしない。」
 暗い部屋にあるゴミは見えません。しかし、光に照らされますと、小さなホコリも見えるようになります。だから悪を行っている人はみな光が大嫌いです。そのため、逃げ隠れするのです。そして自ら光の癒しを拒みながら、悪と罪の種を育て育んでゆくのです。
 「しかし、真理を行なっている人は光に来る。その人のおこないが明らかにされるためである。神にあってなされたからである。」21節。真理は神とキリストの中にしかありませんので、真理を行っている人とは神とキリストを信じる人という意味に取ることもできるでしょうか。そのような人は当然、真理であるキリストの光の内にわが身を置くのです。傷ついた自分、穢れた自分、病める自分をイエス・キリストの光のあたたかさの中に、光の聖さの中に、光の癒しの中に、自らを置くのです。
イエス・キリストのことばです。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」口語訳聖書ヨハネの福音書8:12

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