キリストの十字架を背負ったクレネ人シモン

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.10.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 15章21節
[新約聖書] ヨハネの手紙第一 4章10節
放送日
2022.10.21

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
キリストが死刑場に向かう途中、キリストの十字架を代わりに背負った人がいました。
時は、イスラエルの過ぎ越の祭りでした。遠くの国からも、神を恐れ信じる者たちがエルサレムに集まったのです。その1人がクレネ人シモンでした。クレネは北アフリカにありましたから、彼はかなりの犠牲を払ってエルサレムに来たのです。
そこで見たのは死刑場に向かう3人の犯罪人でした。その1人が彼の目の前で倒れたのです。それがイエス・キリストでした。キリストは、鞭の先に釘などがあるローマの鞭を幾度も幾度も受け、理不尽な裁判を6回も受け、肉体的にも精神的にも限界だったのでしょう。ローマ兵は、このシモンにキリストの代わりにその十字架を担ぐように命じました。
聖書はこう語ります。「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。」新約聖書 マルコの福音書15:21
無理やり背負わされたキリストの十字架でした。しかし、それがこのクレネ人シモンの人生を変えたのです。ここに彼の息子たちの名前が記されています。この福音書が記された時のキリスト教会で、彼らの名は良く知られていたからでしょう。すなわちこの息子たちは後に、自らキリストの死の意味を考え、それが自分の罪のゆえであると認め、キリストを救い主として信じたのです。あの過ぎ越の祭りの時に、彼らはその場にいたのかも知れません。彼らは、自分たちの父親が代わりに背負った、キリストの十字架の意味と神様のご計画を理解したのではないでしょうか。
すべての出来事の背後に、人間のすべての罪を赦す、神の愛のご計画がありました。イエス・キリストはまっすぐにあの十字架に向かってくださったのです。そこにあなたの人生をもつくり変える神様の永遠の愛、キリストの無条件の愛があるのです。
聖書のことば「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」新約聖書 ヨハネ第一の手紙4:10
あなたもイエス・キリストの十字架の意味を、自分のこととして受け入れ考えてみませんか。神様はあなたを愛し、あなたの人生を内側からつくり変えようとしてくださっているのです。

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