わたしは世の光です(目の見えない人の癒やし3)

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.08.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章
放送日
2022.08.05

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は水曜日からお話ししている目の見えない人の癒しの3回目です。
最初に、イエスは弟子たちに「この人が生まれつき目が見えないのは、この人の罪でも、両親の罪のためでもありません。この人に神のわざが現れるためです。」と言われていました。
生まれつき目が見えない人が、見えるようになることはもちろん神のわざです。そして、さらにすばらしい神のわざが行われたのです。そのことを今日お話しします。
ユダヤ人の有力者たちは、イエスがキリストであることを認めようとしませんでした。それどころか、イエスが罪人であると決めつけていました。
彼らは、目が見えるようになった人を呼び出して言いました。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
イエスによって目が見えるようになった人は答えました。「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
彼は、もう一度イエスがどのようにして目が見えるようになさったのかを話して言いました。「あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか」彼はさらに言いました。「盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」
目が見えるようになったこの人は、イエスが、神が遣わされた方であると信じていたのです。
彼のこのことばを聞いた有力者たちは彼を外に追い出してしまいました。そのことを知ったイエスは彼を見つけ出して彼に聞かれました。
「あなたは人の子を信じますか」
「人の子」とは、神に遣わされたお方、すなわちキリストのことです。
彼は「主よ、信じます」と言って、その場でイエスを礼拝しました。彼は、イエスは神から遣わされた救い主キリストであると信じたのです。
人がイエスを信じることこそ神の偉大なわざなのです。

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