わたしは世の光です(目の見えない人の癒やし1)

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 病気のとき

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アップロード日
2022.08.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章
放送日
2022.08.03

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は、イエスがご自分について語られたことばについてお話しします。
イエスは言われました。「わたしが世の光です」
イエスは、生まれたときから目の見えない人をご覧になりました。イエスがご覧になっていることに気づいた弟子たちが、イエスに尋ねました。
「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」その場にいる目の見えない人に何の配慮もない冷たいことばです。
イエスは弟子たちのそんな質問に答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」
そして、イエスは言われました。「わたしが世の光です」イエスはそう言ってから地面に唾をして泥を作り、目の見えない人の目に、泥を塗って「シロアムの池で洗いなさい」と言われました。
彼はイエスに言われたとおりに池に行き、目を洗いました。すると、目が見えるようになったのです。そして、彼はそのまま自分の家に帰りました。
近所の人たちは、目が見えるようになった彼を見てある人は「あれはあの物乞いをしていた目の見えない人ではないか」と言いましたが、ある人は「そんなはずがない」と言いました。すると当の本人が「私です」と言いました。
人々は彼に「どうして見えるようになったのか」と聞いたので、彼は答えて言いました。「イエスという方が泥を作って私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで行って洗うと見えるようになりました」
彼はイエスのことばの通りに行って、生まれて初めて、光を見ることができたのです。イエスは、世の光として目の見えない人に神の業をなさったのです。真っ暗闇だった彼の人生にイエスは光を与えられたのです。
イエスがご自分を「世の光」だと仰ったのには、もっと大きな意味もあります。イエスは罪という闇に覆われたこの世を照らす光なのです。イエスは、この世の闇を一掃する光なのです。明日も、今日のお話の続きをします。

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