心の貧しい者の幸い

出演者
堀 肇
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2022.06.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章3節
放送日
2022.06.06

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「世の光」の時間です。皆さんお元気でしょうか。鶴瀬恵みキリスト教会牧師の堀肇です。
今週は新約聖書の福音書というところに記されていますイエス・キリストのいわゆる「名言」とも言うべきことばを取り上げてみたいと思います。「言われてみれば、どこかで聞いたことがある」というような話なんですね。
今日はマタイの福音書5章3節の「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」ということばです。
このことばは、その人の生きた時代にもよりますが、知っておられる方が案外多いのではないでしょうか。と言いましても、一部分だけが飛び出した形で、「貧しき者は幸いなり」と語れることがよくあります。もしかしたら、ある人たちは昔、流行った「名もなく、貧しく、美しく」という映画の題といっしょになっているかもしれませんね。
私の父などは、普段は聖書を読んでいた人ではなかったんですが、お金がなくなると「貧しき者は幸いなり」といって妙な言い逃れをして家族を苦笑させたものです。
さて、「心の貧しい者」とはどういう人のことを言うのでしょうか。これは心のレベルや程度が低いという意味ではありません。ここでいう「貧しさ」というのは分かりやすく言いますと、さまざまな理由で人生に疲れ、生きていく力が出てこないほど心が無力になっている状態ですね。自分にはより頼むものが一切ない、つまり心が破産状態にもなっている、そういう貧しさのことを言っているのです。
では、そのような貧しさ、無力さを感じている人がなぜ幸いなのでしょうか。それは、人はそういう状況に置かれますと神に心を向け、神により頼むようにもされるからなのですね。そういう機会が目の前に与えられていると言っていいでしょうか。だから「幸い」というのです。
イエスは「天の御国はその人たちのものだからです」とその理由を語られたのです。
確かに、心が無力になっている時は辛く、苦しいですね。しかし、その時こそ、心はイエスが言われたように「天の御国」に向けられる幸いな時だと思うのですね。
貧しさ、無力さを感じた時、このことをぜひ心に留めていただきたいと思います。

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