恵みと誠

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2022.05.10
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 1章17節
[新約聖書] コロサイ人への手紙 2章17節
[旧約聖書] エレミヤ書 31章33節
放送日
2022.05.10

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
昔、「愛と誠」というマンガの本がありました。今日は「恵みと誠」がイエス・キリストによって実現したことをお話ししたいと思います。では、ヨハネ福音書の1章17節を口語訳で読みます。
「律法はモーセをとおして与えられ、恵みと誠とは、イエス・キリストをとおしてきたのである。」
まず、ユダヤ人にとって、モーセの律法は神から自分たちに与えられた特別なことばですから、高く評価していました。律法は神様からのものですから、良いものでした。私たち人間の罪を示し、人々に罪と悪を認めさせる働きをしました。
しかし、律法では私たちの罪を指摘することはできても、罪人の罪を赦し、罪から罪人を贖い救うことはできなかったのです。すなわち、ヨハネは「モーセの律法には恵みとまことが無い」と言いたいのではないでしょうか。しかし、恵みと誠は、イエス・キリストによって実現し、私たちはイエス・キリストによって救出されると、作者のヨハネはこれから語ろうとしているのです。
イエス・キリストこそ奇跡の力を持ち、人々の心を神に心服させ、服従させることのできる能力を持っておられました。しかも、イエス・キリストはその能力をご自分の栄光のためではなく、神からの賜物、贈り物として、神と人々のために誠をもって用いてくださったのです。「誠」という漢字は、言偏で右は「成る」と書きますね。イエス・キリストは言ったことをその通り実行しました。
しかし、注意しなくてはならないのはモーセの律法は間違っているとヨハネは言っているのではありません。モーセの律法は、「きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。」とコロサイ人への手紙2章17節で使徒パウロは語りました。モーセの律法は、「恵みと誠」であるイエス・キリストの影だったのです。この影をたどっていきますと、本体であるイエス・キリストが登場するのです。モーセの律法が、かつて石の板に記されました。しかし、恵みと誠は私たちの心に刻まれるのです。主なる神はこう言われました。
「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。」
エレミヤ書31章33節

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