ゲッセマネの園での祈り

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.04.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 14章36節
放送日
2022.04.08

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
私たちは、自分の弱さを認めることがなかなかできませんね。
最後の晩餐の後、十字架に向かうキリストは、弟子たちが失望し、キリストから離れつまずくと語りました。この後、起こることも自分の弱さも知らないペテロは「皆がつまずいても、私はつまずきません。」と語ります。
しかし主は、ペテロが三度、キリストを否定すると預言するのです。ペテロはなお「ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と豪語し、他の弟子たちも同じように語りますが、彼らはまだ自分たちの愚かさを知らなかったのです。
弟子達の弱さも愚かさも、この後起こるすべてをご存じのキリストは、オリーブ山にあるゲッセマネの園で祈りました。それは悲しみのあまり死ぬほどの苦しみを伴う祈りでした。
キリストはこう祈ったのです。
「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」新約聖書マルコの福音書14章36節
この「杯」とはキリストの十字架のことを示していました。神の御子キリストは、私たちすべての罪の裁きを身代わりに受け、父なる神から完全に見捨てられるという壮絶な苦しみを受けるために、この地上に来てくださったのです。その苦しみは、私たちの思いをはるかに超える、耐えられないほどの苦しみでした。キリストはその苦しみをすべて味わいつくし受け止めるべく、神が望まれることが行われるようにと、自らを神にゆだねられたのです。
キリストはこの苦しみの祈りを「ともにしてほしい」と、弟子たちに願っていましたが、皆眠ってしまっていました。キリストは深い孤独をも味わいつくされ、まっすぐに十字架に向かってくださったのです。
キリストはあなたの弱さも愚かさもすべてご存じで、あなたを愛し、あなたの罪の赦しの道をあの十字架のうえで開かれました。しかし、どれほどの孤独と苦しみをイエス・キリストが味わいつくしてくださったことでしょうか。そのことに心を留め、自分の弱さや愚かさ、罪と向かい合い、罪を告白する者でありたいと心から願います。

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